服装原理主義の話はどうも分かり合えそうにない。
一つ面白い指摘がコメントにあったので紹介しておく。

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寛容派にとって服装とは自己表現の道具であり、保守派にとっては服装はその人の社会性を表す道具なのでしょう。
表現が自由だと思えれば、社会性を表すのもまた自由だとして理解できるでしょう。
自分のパフォーマンスを表現しようとした国母選手も保守派の意見だって理解してるかもしれません。
「おめーらの言うことはわかるよ、ごめんな、でもそれってくだらなくね?」という感情の表現として、正しい会見をしたと思います。
ただ、原理主義派には全くの理解不能、意味不明でしょうね。
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なんか話は全然別だけど、この手のイデオロギー対立の話はいくらでもある。
たとえば私の友人の経営者がこういっていた。
彼は別れた奥さんとの子供が、障害者のための車椅子の寄付活動にプルタブを集めていた時のことだ。

「そんなことに時間をかけるなら他にやるべきことがある。車椅子は俺が買ってやるから」

と言ったそうだ。その活動を薦めたのは奥さん側のお義父さん。彼にそれを伝えると

「そんな問題じゃないんだ。コツコツ、プルタブを集めることに意味がある」

と彼の車椅子寄付の話を断ったそうだ。結局何がやりたいのか。私の友人側の論理で言えば車椅子を障害者に寄付することに賛同して何台かを自己資金で寄付することを申し出た。それが社会貢献活動だと思っていた。コツコツ集めることに意義は感じない。

ということなのだろう。しかし、こういった話が溝になり彼は前妻のファミリーとうまくいかなくなり別れたわけだ。他にも原因はあるのだろう。が、服装を認められない人たちとのなんとなくの共通点があるような気がしてならないんだ。

私もこの友人側の考えをするほうだ。むしろコツコツプルタブ集めは単なる自己満足のような気がして否定的だが、勝手にやってる分には寛容だ。むしろどうでもいい。こちらに強制してこなければ。車椅子の寄付に賛同すれば、それは勝手に自己資金で寄付すると思う(車椅子の寄付はしたことないけど、他の寄付はいくつかしている)。

こういうことを最近よく考えるようになった。なんか煮詰まってるな。。。

さてさて、こないだヒルクライムの「春夏秋冬」のことを書いたらユニバーサルさんがいっぱいCDを送ってきてくれた。

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