社会起業家の誤った認識 - 松本孝行
俺こういうカッコつけ的な呼ばれ方大嫌い。
皆に自分のやっていることを素晴らしい事だと分かってもらいたいのでこういう名前付けをしているような気がして浅ましいと思ったりする。まあ、多くはなんとなくそういう呼ばれ方をしたり、それを利用したりしてるだけだろうけど、ここまで別に擁護するこたあない。
そういう意味で成毛さんや藤田さんの言っていることは得心がいくし、それに別に逆切れするこたあないとも思うし。社会企業家とかこのフローレンスだかの人たちが言ってしまうと、それ以外の起業家はまるで社会に全く貢献していないのではないかと思われてしまう懸念があるのは私が考える大きな問題点だ。
私も前職時代、インターネットの普及による社会変革、社会の効率化、そして知を集約することでイノベーションを生み出すことを理想に掲げ起業して成長させていった。しかしそれを外部に殊更アピールすることはしなかった。そんなの当たり前だし、外部に向けてそれをアピールしたところで単なる「カッコつけ」でしかないと思ったのだ。そういう意味で社会起業家を名乗る人たちは要領がいいのか、とも思うし、そんな事言ってて気恥ずかしくないのかなあとも思う。でも、多くの人たちはそうでもしないと本当の理念とかわからないんだな、とも逮捕起訴されて思ったりした。私は単なる拝金主義者の時価総額経営者だって思われてたんだから。
成毛さんや藤田さん達は、社会に十分貢献した挙句株式会社の株主をある程度納得させ、社員の多くを経済的に豊かにしてきた。そしてリタイアした後はその潤沢な資産を使ってさらに社会に貢献していくだろう。そんな当たり前のことを会社の規模が社会全体からしたら米粒のように小さな時から殊更アピールしてても、本質的にはあんまり社会貢献にならず小さなままであるというケースが多いのではないだろうかね。
私はだから、社会起業家って能力足りないから基本的な社会貢献の部分しかできず、利益も出せません、だから株主も納得させられません、悪しからずって事なんじゃないかなっていう見方をしてる。それゆえに「社会貢献」の部分をアピールしすぎるくらいしているんじゃないかと。
そういう意味でちゃんとした起業家が割を食うのはなんだかなあと思うのだ。
社会貢献ばっちりやって、さらに儲けられる仕組みつくったら皆から感謝されるし社員もどんどん集まるし資金もたくさん集まる。それが理想なんじゃないかね。
これ必読。
もう民主党が何をやってもおどろかなくなった
ところで、ずっと読んでいた漫画「のだめカンタービレ」が最終回だったみたい。ちょっと感動してしまった。ていうかクラシックの漫画なのに当然、漫画だから音は聞こえてこない。でもあの絵の表現力だけで、あそこまで臨場感を持たせることができるなんて、やっぱりこの二ノ宮さんは天才だなと思ってしまいました。
それと、去年東大の売店で購入した東大本。東大の基金の少なさに愕然とする(数十億)。スタンフォードに比べて桁が1つどころか3つくらい違う。政府の科研費にどれだけ依存してきたのか、しかもその額が十分でなかったのかよくわかる。私の先輩なんてApple IIの正規版買えなくて台湾製のパチモンつかってたからね。
東大はこの本に載っている素晴らしい研究を事業化するときに出資を積極的に行い、そのキャピタルゲインを基金にフィードバックするエコシステムを完成させるべく努力をすべし。卒業生(私は中退だけど)に寄付だけを望んだところでたかが知れている。桁がせいぜい1つ上がるだけだ。それでは自主的な科学技術の推進はできるまい。スパコンの予算が削減されたようにこれから国には頼れなくなる。間違いない。
それと、今年最後の拙著「人生論」でました。こちらもよろしく。
なんか、友人が送ってきてくれた写真。某書店でコーナーができてるらしい(嬉)

俺こういうカッコつけ的な呼ばれ方大嫌い。
皆に自分のやっていることを素晴らしい事だと分かってもらいたいのでこういう名前付けをしているような気がして浅ましいと思ったりする。まあ、多くはなんとなくそういう呼ばれ方をしたり、それを利用したりしてるだけだろうけど、ここまで別に擁護するこたあない。
そういう意味で成毛さんや藤田さんの言っていることは得心がいくし、それに別に逆切れするこたあないとも思うし。社会企業家とかこのフローレンスだかの人たちが言ってしまうと、それ以外の起業家はまるで社会に全く貢献していないのではないかと思われてしまう懸念があるのは私が考える大きな問題点だ。
私も前職時代、インターネットの普及による社会変革、社会の効率化、そして知を集約することでイノベーションを生み出すことを理想に掲げ起業して成長させていった。しかしそれを外部に殊更アピールすることはしなかった。そんなの当たり前だし、外部に向けてそれをアピールしたところで単なる「カッコつけ」でしかないと思ったのだ。そういう意味で社会起業家を名乗る人たちは要領がいいのか、とも思うし、そんな事言ってて気恥ずかしくないのかなあとも思う。でも、多くの人たちはそうでもしないと本当の理念とかわからないんだな、とも逮捕起訴されて思ったりした。私は単なる拝金主義者の時価総額経営者だって思われてたんだから。
成毛さんや藤田さん達は、社会に十分貢献した挙句株式会社の株主をある程度納得させ、社員の多くを経済的に豊かにしてきた。そしてリタイアした後はその潤沢な資産を使ってさらに社会に貢献していくだろう。そんな当たり前のことを会社の規模が社会全体からしたら米粒のように小さな時から殊更アピールしてても、本質的にはあんまり社会貢献にならず小さなままであるというケースが多いのではないだろうかね。
私はだから、社会起業家って能力足りないから基本的な社会貢献の部分しかできず、利益も出せません、だから株主も納得させられません、悪しからずって事なんじゃないかなっていう見方をしてる。それゆえに「社会貢献」の部分をアピールしすぎるくらいしているんじゃないかと。
そういう意味でちゃんとした起業家が割を食うのはなんだかなあと思うのだ。
社会貢献ばっちりやって、さらに儲けられる仕組みつくったら皆から感謝されるし社員もどんどん集まるし資金もたくさん集まる。それが理想なんじゃないかね。
これ必読。
もう民主党が何をやってもおどろかなくなった
ところで、ずっと読んでいた漫画「のだめカンタービレ」が最終回だったみたい。ちょっと感動してしまった。ていうかクラシックの漫画なのに当然、漫画だから音は聞こえてこない。でもあの絵の表現力だけで、あそこまで臨場感を持たせることができるなんて、やっぱりこの二ノ宮さんは天才だなと思ってしまいました。
それと、去年東大の売店で購入した東大本。東大の基金の少なさに愕然とする(数十億)。スタンフォードに比べて桁が1つどころか3つくらい違う。政府の科研費にどれだけ依存してきたのか、しかもその額が十分でなかったのかよくわかる。私の先輩なんてApple IIの正規版買えなくて台湾製のパチモンつかってたからね。
東大はこの本に載っている素晴らしい研究を事業化するときに出資を積極的に行い、そのキャピタルゲインを基金にフィードバックするエコシステムを完成させるべく努力をすべし。卒業生(私は中退だけど)に寄付だけを望んだところでたかが知れている。桁がせいぜい1つ上がるだけだ。それでは自主的な科学技術の推進はできるまい。スパコンの予算が削減されたようにこれから国には頼れなくなる。間違いない。
それと、今年最後の拙著「人生論」でました。こちらもよろしく。
なんか、友人が送ってきてくれた写真。某書店でコーナーができてるらしい(嬉)
