昨日ゴルフ行ったときだな。なんか変なかぶれる木か何かに触ったのだろう。激しく痒い。熱もってるし。。。

というわけで、先日は都内某所にある天婦羅屋さん(ヒント:六本木ヒルズに支店あり)に行ってきた。そこは日本一の天婦羅の揚げ手と言われる主人の夢の結晶のようなお店である。そこで、はじめて「ぎんぽう」という魚の天婦羅をたべた。
このホームページに詳しくぎんぽうの解説がある(写真付き)
ちなみに、私が行った店はここではない。なんとなく「あなご」っぽいんだけど、もっと身が引き締まっている感じ。今の季節限定で、しかもこの魚、天婦羅専用なのだそうだ。アナゴやらアスパラガスやら、定番のも物凄く旨いんだけど。

んで、なんで日本でこんなに天婦羅を揚げる技術が芸術的な域にまで達したかを色々話していた。天婦羅粉ってナノテクみたいなもんだよね。水分をどのくらい含ませるかで揚げる温度が変わるのだ。海老が美味しく食べられる温度、アスパラガスの適温などなど、主人はその温度を知り尽くしている。天婦羅の衣に水分が沁みた状態では摂氏100度を大きく越えることがない。水の沸点が摂氏100度だからね。とか、その辺のことを理解した上で、主人が天婦羅を揚げるところを見ていると飽きないのだ。

六本木で働いていた元社長のアメブロ

これがぎんぽうの写真。

さてさて、話は変わりますけど。

安田好弘と宮崎学、魚住昭が「直言」する、「ライブドア事件」、「国策捜査」、「人権派弁護士」……。「額に汗して働かない」司法官僚が主導するこの国を斬る!!

こんな面白い対談があったのですね!一部当時はまだ捜査中ってのもあって、ライブドアオートが絡んでいるように誤解されていますが、そこ以外の部分は結構当たっていますね。実は先日、魚住昭さんにお会いして検察庁の歴史について学びました。このリンク先にも書いてありますけど。立憲君主国家において、一番の権力を持ちやすいのは検察であると。そして戦後のGHQ指令の民主化で、戦前、大審院(今の最高裁判所)の検事局として実質的には司法機能である裁判所さえ牛耳っていたその強大なる権力を、奪われそうになり、昭和電工事件でGHQ側の摘発を食い止め恩を売り、独自捜査機能を認めさせるための一文を刑事訴訟法と検察庁法にいれさせたといわれている。結局三権分立は完全には果たせなかったのだろう。

私が提案する司法制度改革は、
1.検察庁が独自捜査を出来なくする。元々のGHQ案の通り、検察は法廷の中だけで公判維持と略式命令などの準司法機能を行使すればよい。警察やその他の捜査機関でも司法試験に通ったエリートを雇えば、それなりの捜査能力は維持できるだろう。
2.起訴便宜主義・起訴独占を是正する。大陪審を導入するか、裁判官による予審制度を導入する。
3.裁判官・検察官は任期制で司法試験合格者でかつ司法修習を終えたものから、選挙で選出する。
4.裁判員制度は重大犯罪以外にも、無罪主張しているものに関しては選択可能にする。

こうすることで、いわゆる「国策捜査」と呼ばれるものや、冤罪を作り出したりする構造がある程度是正されるのではないかと期待する。


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魚住 昭
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追記:天婦羅食べてるときは全然痒くなかったのですよ。夜寝てるときです。痒くなり始めたのは。まあ、でも疲れてるのかな、とそのままにしてまたゴルフ行ったのですが、そしたらひどくなってきて、医者にいってステロイド剤点滴しときました。そのうちなおるでしょう。

私が起訴されたかどうかは、おそらくあの環境なら、大陪審だろうが起訴されてたと思いますけど、そんな自分のことはどうでもよく、今後同じ目に遭いそうな人たちが不幸にならないように、との話です。起訴便宜主義を残すのであれば、むしろ司法取引制度を明確化した形で導入したほうが透明性が高いのではないですか?検察審査会制度の強化の流れは出来ているようだし。
警察が能力不足なのでは?との指摘ありましたが、司法試験に合格した人間やら、各種専門家を雇い、警察内部に特別捜査チームをつくればよいです。FBIみたいな感じ?大事なのは検察と警察がけん制しあうこと。地検特捜部だって、結局法務大臣の指揮権が及ぶ検事総長の傘下に事実上はあるわけだし、でも彼らが権力に抵抗するのは、プライドと彼らなりの正義感が根拠になっているので、警察でも同じようなエリート集団をつくればいいでしょう。ただ、そこでは検察と最終的には対峙することになるわけで、けん制がはたらきます。

選挙制度は確かに、検察官がスタンドプレーに走るという懸念はありますね。でも、今でもそういう意味では特捜部は2-3年で検事が入れ替わりますし、「選ばれた」という自負もあるでしょうから、スタンドプレーに走るという意味では今と変わらないと思います。大事なのは、弁護士業務経験者が検察官になるということですし、その後また弁護士に戻るということです。刑事弁護人をつとめれば、検察の訴追の理不尽さ・強引さを知ることになると思います。そういう意味で良心を期待できるのかなーと。

裁判官の国民審査制度のアピールと強化は喫緊の課題でしょうね。最高裁判事で罷免したい人に×をつける方式だと、なかなか罷免されづらい(一度もこれまで罷免されたことは無い)ので、機能していないのではないかとも言われています。だから、このまま続けてもらいたい人に○をつける方式にするとか、もっと報道でも最高裁判事の誰がどのような判断を下したのか、もっと一般市民に分かりやすいように伝えてほしいものです。記事の隅っこにはかかれてますけど、たとえば国籍法の解釈にまつわる最高裁大法廷判断などは、国のあり方を考える大事な判断であったわけで、反対意見を出したのだが誰で、どのようなキャリアで、みたいなのはもっと報道すべきだと思いますね。
なんたって、最高裁判例というのは法律と同じような効果を持つわけですからね。

司法の独立という三権分立の大原則がきっちり運用されているかどうか、見守る必要ありです。