とある人の日記を見て書かざるを得ないと思いエントリー。


その人は今年惜しくも新司法試験に落ちてしまった。

同じローではないが、一緒に勉強会も2~3回やったことがある。

その人曰く「諦めないで」と軽々しく言われたくないそうだ。

自分より努力したり苦労していない人からは特に納得いかないらしい。

自分に勝手に夢を押し付けないでほしいらしい。


新司法試験浪人はモチベーション維持が難しい。


まず、3割という合格率は一般的にそんなに簡単な試験ではない。
東大だって2次は3割である。
ロー卒業要件をセンター足切りと考えればあまり変わらない。
試験も4日、計22時間半の長大な試験。
ストレスは計り知れない。

さらに合格しても就職難である。
新規参入が年間500~1000人であった市場に毎年2000人投入される。

そして浪人生は現役生よりも就職が難しい。
リクルートする側は合格率2~3%時代を勝ち抜いてきた人間。
3割という合格率は決して優しくない。
しかし1回落ちた人間に対する目は必要以上に冷ややかなものになる。


人は希望があれば生きていけるが、
希望がない中での困難は地獄である。


だから合格発表前は自分もとても緊張した。
落ちたときのリスクが大きすぎる。
この試験は合格率3割のくせに「落ちてはいけない試験」なのである。
だから落ちた人間が上記のように卑屈に思うのも理解できる。



それでも自分は言いたい。それは違うよ、と。



もとはと言えば「浪人できる環境」に甘えていると言える。

法科大学院の制度になって司法試験を突破するには金が必要になった。
自分はバイトに恵まれたが、基本書・答練etcで勉強するには金がかかる。
普通は勉強が忙しくてバイトなんてやっていられない。

奨学金や親の援助があってやっとここまでこれた、という人が多数であり
とても優秀なのに夢半ばで挫折した人も自分の周りにたくさんいるのだ。
国1や民間就職した人の中にはそんな人もたくさんいるのだ。


それは自分の力ではもうどうしようもない悲劇。


そういう人がいる中でその人は新司法試験の試験会場に座るまで来た。
ロースクールだって国立大。
今までの合格者実績だって上位校を卒業している。
そんな恵まれた環境にあって、それで落ちてしまったのだとしたら、


それは自分の手で引き起こした悲劇。


挫折せざるを得なかった人から見れば、そういわれても仕方ない。
やはり努力の量やその方向にが問題があったのだのだと思う。


そして落ちた人が「諦める」と言い出したらこう思うだろう。
「あまりにもったいない」と。


他人の世話になれる環境にいて、実際かなりの期間援助も受けている。
それでいて今更あきらめる?
しかも自分のせいで失敗しておいて?
今まであなたが使ってきたお金はなんだったの?
そう思うのではなかろうか。


「諦めないで」と人が言うのは、

軽い気持ちで言っているのも大半だとは思うが、

冷静に自分の立場を分かっているなら

「世話になった人のためにも頑張りなさいよ。」

だと受け止めるべきだ。


確かに夢を他人に押し付けている面は否定できないが、

自分でこの道をチョイスしてここまで来てしまったわけであるし、

「自分の手で引き起こした悲劇」を素直に反省して次につなげるのが

法律以前に人としての義理だと思うのだが、どうだろうか?