若い教師・結愛さんから、再びお返事      2024,6,27ブログ

 東北地方のある県で教師となった結愛さん(仮名)から一昨日お手紙(メール)を頂き、その中にちょっと悩みが書かれていた。ぼくは、その返事を昨日の朝送った。するとそれを読んだ結愛さんから昨夜、再びお手紙が届いた。

 ぼくの返事を結愛さんがどんなふうに受けとめてくれたか書かれていたので、その一端を紹介したい。

“悩み”の内容を少し振り返っておくと、担任する特別支援学級5年生の男の子が、結愛さんに対し、日々の生活や学習などのいろいろな場面で“攻撃的な言葉”を発してくる…、それをどう受け止めたらよいのかということ。ぼくは、少し思うことを書いて送っていた。(以下、文中の太字は山﨑)

 

◆結愛さんから頂いたお手紙  2信

 山﨑先生、お返事いただきありがとうございます。山﨑先生のメールを見て、先生の温かさの中に子どもをじっくり見つめる大切さを改めて感じました。

「焦らず、押し付けず、内なる力に気づく」…を心に留めて、また日々を過ごしていきたいと思います。

               ※

 攻撃的な言い方をする男の子のこと、私は山﨑先生の話が目から鱗でした。

「まっすぐ関わってくるものへの怖さがある」…は、その子の背景からまさにそうだなと思います。その子は、確かに賢い子です。そして、よく人の動きや表情を見ています。その攻撃的な言葉の中に、(そしてその)背景にはその子の心の内と一緒に受け止めることが必要なんだと思いました。真剣に受け止め友達と話すように語る、関わることやってみたいと思います。

色々試行錯誤しながら、また日々頑張ります! また連絡しますね。

 山﨑先生、ありがとうございました。             結愛

                ※

◆お手紙を頂いて思うこと…自分の中に少しずつ安心の世界が生まれて行けば

 日々の生活の中で、小さなことに対しても“攻撃的な言動”をする子がいる。すべての子どもとは言えないが、自分に関わる周囲の人たちに対し“強い言動”を見せるときと、“怯え”のように自分を閉ざすときとが―場合によっては驚くような“弱さ”とか“甘え”を見せる子もいる…、裏表のように大きく揺れている姿を見る。

 結愛さんに対して、恐らくこの少年はこれからも何度か“攻撃的”な言葉を発するだろう。でも、この繰り返しの中で、結愛さんに受け止められながら、少年は自分の中に“相反する思い”の存在に気づき、心の落ち着く場所を少しずつ作り出していくような気がする。

 この時難しいのが、子どもの“攻撃性”を受けとめるというそのし方。これは、その行為や言葉をただ許すということとは違う。

 関わる者や他者に危害を加えそうなときは、それが大きくならないように(その子自身が自己の行為に対し驚くような状況に至らせない)止めたり治めたりする必要がある。

 また人間として聴くに堪えない言葉を発した場合は、「〇〇さん、今の言い方だったら、わたしは(先生は)あなたの言葉を聞くわけにはいきません」…そう言って、その子の動きを視野におきながら別の作業に取り掛かる。冷たいようだけれど、その子が自分自身の行為と言葉について内なる心で問い直し振り返る時間と場を与えていく。

 壁を蹴ったりしているときは、物を壊すのではないかぎりほって置く。ガラス戸を殴ったり頭を壁にぶつけたりする行為は勿論止めるのだけれど…。怒り、泣き、そしてしばらくして穏やかになる。この時をとらえ、その子の回復や再生を認め、語りかける。これは一つの方法だけれど…。

 大切なことは、その子の中に“安心の自己を取り戻し形成されていく”ことを応援する。自分の存在に対する安心が形成され始めたとき、他者への“攻撃性”は影をひそめていくように思う。