若い教師・結愛さんからお手紙      2024,6,26 ブログ

 結愛さん(仮名)は東北地方のある県で働く若い教師―。ぼくが大学で授業をしていた最後の年、特別枠『臨床教育学』の授業に参加してくれた。そこで生まれた小さな繋がり。でも、こうやって連絡をしてくれるのがうれしい。

 結愛さんから頂いた手紙を読むと、特別支援級の子どもの対応をめぐって少し悩んでいる様子が伝わって来た。それで的外れになるかもしれないけれど、ぼくは思うことを綴って送った。

 その一端を(一部省略)、今日のブログで紹介したい。(文中の太字は山﨑)

 

◆結愛さんからぼくへ  ~どんな言葉を返してあげたらいいか?

 山﨑先生、ご無沙汰しております。

 夜分遅くにすみません。お元気ですか。私は、バタバタの毎日ですが、元気です!

 最近の学校での出来事で先生に伝えたいなと思い、メールしました。長くなりまとまらない文章、すみません。

 

 私は今年も特支の5・6年生の担任(計4人)をしています。去年と学級は同じですが、6年生の女の子1人は持ち上がり、5年生の3人の男の子は低学年クラスから進級し、高学年のクラスになり、メンバーも変わりました。

 なかなかやんちゃなパワフル男の子たちと、ちゃんとしたいところもある頑張り屋でパワフルな女の子…去年と人数も2倍で、毎日、汗だくの試行錯誤の毎日です。

 最近は、「押してダメなら引いてみろ」、待つことを意識して子どもとのやり取りをしています。こうしたら…と思うこと、一年勝負だと思うと、私もやりたいこと伝えたいことが、たくさんになってしまいます。

 

 クラスの男の子は、家庭科の勉強のあと「縫い物は疲れるなあ」と言ったので、「〇〇くんは、とっても集中して頑張っていたもんね!すごいよ!疲れる気持ちわかるよ〜」と言ったら、「そんなことしか言えないのかよ」とその男の子は私に言いました。

私は返す言葉が見つからず、その会話を流してしまいました…。その男の子は、私に対して、いつも何か攻撃的なことを言わないといけない(本人は気づいていないことの方が多い)という風になっているんだろうと思います。

 

 まるッと受け止めるのか、それはね…と話すのか、スパッと言うべきか、わたしは言葉でのやり取りが上手くないので、いつもどうしようか、あの言葉はよくなかったか…など、自分の行動の後にモヤモヤしてしまいます。こればかりは、自分で試して、失敗しながら見つけていくしかないと思っても、悩んでしまいます。

 去年から見ている支援員の先生は、「もっとできているところもあったのに」の言葉も自分にはグサっときて、最近の悩みです。

 長くなりすみません…。                   結愛

 

 

◆結愛さんへ…山﨑より

 お手紙うれしく読みました。久しぶりですね! 

 いくつか感じたこと・思ったことを書きますね。

①  パワフルさの持つ魅力と個性に着目したい

 特別支援学級の4人の子どもたちについて、「みんな“パワフル”なんです」という言葉に心を惹かれました。

 みんな、行動的で身の周りの様々なことに興味があるのでしょうね。そして、それはすごい可能性につながっているなと思いました。

 4人ひとりひとり、行動のし方、こだわり、好奇心の向かい方などいろいろちがうのではありませんか。ぼくの勝手な想像ですけど、これをじっくりと見つめ、それぞれのこだわりを学習に活かしてあげたら、すごく面白い学びができるのでは…と思いました。

 (※例えば A子さんはリズムやダンス、B君は昆虫やいろんな生き物たち、Ⅽ君は折り紙と工作、Ⅾ君は冒険や探検、地図が大好きとかね…そうした個性的で独創的なこだわりをみんなの学びに生かしていく)

 結愛さんが「1年でしょうぶする」のではなく「待つことを大切にしてみたい」みたいなことを書いていますね。ぼくは、この姿勢がとてもいいな、素敵だなと思いました。

 その子を丁寧に見つめていくことって、その子の“内なる力、内に秘めた力”がどこにあるかに気づくことです。これを教師が無視したり排除したりして、その子に教えたいことを無理やり押し付けるとき、それはその子の心の深い所とつながる力にはならないと思います。学ぶことに“拒絶の感情”が生まれたり“心の傷”が生まれたりしてしまいます。

 行動パターンを恐怖によって押し付け、この子は“変わった”と周囲に認めさせても、その子の中には、自分自身と周囲の人間に対する信頼や喜びが生まれてはきません。

 結愛さんの言葉の中には、こうした大切な思いが背後に流れているように思います。

 焦らなくていいのです。

「結愛先生大好き!」

「先生、学ぶっておもしろいね!」

「Aさんの発見とこだわりがあったから、みんな楽しく学べてよかったね」

「ぼく、もっと調べてみるね。やってみるね」

―そういう言葉が生まれたら、子どもたちへの最高の教育がなされたのだと思います。

 

②  教師に対し“攻撃的な言葉”を発する子をどう見るか 一つの見方

 家庭科の縫い物の学習の後、一人の男の子が「縫い物は疲れるなあ!」と言って、それにあなたが答えたら、「そんなことしか言えないのかよ」って、その子が答え、結愛さんの中にどう答えてあげればよかったんだろうという悩みが生まれたのですね。そして、その子はいつも結愛先生に対し“攻撃的な言い方”をする…と。

 ぼくは、ここを読んだ瞬間、この子すごいな!と思いました。「そんなことしか言えないのかよ」という言葉は、自己の置かれた現在の状況をきちんと理解していなかったら生まれてこない言葉ですから。

 まず彼のその賢さを認めてあげたいし、そうした鋭い視点で自分や教師の一挙手一投足を見ていると考えたあげたいです。

 賢さの裏返しが「攻撃的な言葉」になって返ってきているような気がします。そうした視点にたてば、その子に実際に伝わるかどうかはわかりませんが、結愛さんが一人の対等な人間に対するように、友人と語るように、真剣に状況を見て、そこにどんな感想を持ったのかを丁寧に語ってあげたらどうでしょうか。

 うまい言葉で対応する必要はありません。毎回、たどたどしてくていいから彼の言葉を真剣に受け止め、そのとき感じたことを真っすぐに伝えてあげればいいのではと思います。結愛さんが言った言葉「〇〇くんは、とっても集中して頑張っていたものね~」は、ぼくは間違った答えだとは思いません。

 「そんなことしか言えないのかよ」の“攻撃的な言い方”の背後に、もしかしたら結愛先生に対する、本人は自覚していない“甘え”や“照れ”が隠されていて、それが彼の普段の生き方に表れていて、そうした反応に対し、結愛さんがめげずに自然体で正直な言葉を発し続けて行けば、いつかどこかでつながる日がくるように思います。

 ある意味では、結愛先生に対し“攻撃的な言い方しかできない”というのは、その子の生き方の中に、自分に真っすぐに関わってくる者に対する“怖さ”があるのかもしれません。自分の感情を、例えば“先生が言ってくれた言葉がうれしいな”と正直に吐露したら、自分が失われるような、ありのままの感情に踏み込ませてしまう怖さを、これまでの生き方の中で重ねてきたのかもしれないなとも思います。

 ほっとできて温かな感情に包み込まれるようなやわらかな雰囲気とか心の交流に慣れていないのかもしれませんね。

 そんなことを思いました。

 これは、ぼくの感想です。不十分な内容で参考にはならないでしょうが、結愛さんのこれからの奮闘(模索と葛藤)と新たな発見が生まれる実践を楽しみにしています。

 お手紙を頂いた感謝を込めて!

                2024,6,26      山﨑隆夫