身辺雑記 散歩、そして若い仲間の教師との電話    2024,6,18ブログ

1,あれ、こんなところに小さな実が!?

 18日は雨…と天気予報が出ていた。

「明日は散歩できないから、今日は少し暑くても歩こうかな」

 ベランダに出て、空を見上げながら考えた。午後の3時。気温は30度。薄い雲が空全体に広がり、直射日光を遮っている。少し風がある。

「よし。歩こう!」

 タオル地の半そでシャツ1枚着て出発。バドミントンの試合などで着ていた懐かしいシャツだ。下はジーンズ。リュックを背負い、夏用のキャップをかぶる。「帽子」と書くと周りに鍔のある帽子がうかぶ。「キャップ」は野球帽みたいな帽子。こちらの表現があっているかな…。

 この日、2つの驚きとであった。

 最初に家を出て、バス通りを30分ほど歩くんだけれど、道路の脇に設けられている排水溝の鉄の蓋の下から、緑の植物が顔を出していて、そこに小さな円い実がいくつも生っていた。白い色をしている。

「これは何だ?」

 思わずそこに座り込んだ。車が何台も、座っているぼくの横を走り抜けていく。

 ぼくは、そっとその白くて小さな実にさわってみた。固い。大きさは、ピンポン玉の半分くらい。

 調べてみると『ペピーノ』という名前が出てきた。野菜…と書いてある。

 自宅に帰って調べると、本当に食べられる野菜だった。スペイン語で「甘いキュウリ」という名前がついている。エクアドルなどで栽培され食べられていた野菜の実。スライスして食べると美味しいみたい。

 ぼくは、食べたことがないけれど、最近、日本の農家でも栽培しているようだ。そのタネがこんなところに落ちて伸びてきたのか? 外来植物がたくさん日本にやってきて、辺りの風景を大きく変え始めているが、このことは仕方ないことだなあと思いつつ、食べられる野菜までが排水溝から顔を出し実をつけているのには驚いた。

 もう1つ驚いたこと。

 昨日ブログに記したヤマボウシと散歩の途中2度もであった。1度目は、住宅地の角の樹木の中にそれを見つけた。一瞬、ハナミズキのように薄いピンク色が目立ったが、近づいてみるとヤマボウシと書いてあった。通常のヤマボウシとは少し違うみたい。2度目は、二ケ領用水沿いを宿河原駅の方から右折して久地駅に向かう住宅地横の路地を歩いている時、高さ数メートルに育った庭木があって、それが白い十字架をつけたヤマボウシだった。

「へえ、庭木としてこの木を植えて育てているんだ!」

 

2,若い仲間の教師からの電話

 散歩を終えて自宅に帰りシャツを着替えていると携帯に着信。時刻は5時。

 被災地で教師となって働くトモカさんからだ。放課後の教室からだろうね。

「ちょっと授業のことで相談したいことがあります。6時ころ電話していいですか?」

 ぼくの方は、暇だ!

「いいよ。6時、待っています!」

 6時を10分ほど過ぎて電話がかかってきた。

「今、学校でしょう。教室から電話?」

「いいえ。たった今、自宅に帰ってきました」

「そうか。それはよかった」

 それから少し学校での様子や暮らしの様子を尋ねた。1年生から6年生たちのいくつかの授業を担当している。元気でいるみたい。うれしい。

 相談は、6年生の授業のこと。社会科の授業でお喋りの止まらない子がいるという。いろいろ質問してきたり自分で語り出したり、ほぼ教師と1対1みたいに、周囲のみんなのいることなど関係なく、自分のこだわりだけで答えを求め話してくると。周りの友だちも、そんなA君の様子にちょっと怒り出したこともあるみたい。

「A君のお喋り、うるさい!」

「A君ばかり話をして、授業が楽しくない!」

 A君みたいな子は教室にいるよね。自分の関心ごとにひらすら夢中になって自分の気もちや考えを表現し、周囲の友だちには無関心。先生だけを相手に聴いてもらおうとする…。聴いてもらえないと臍を曲げる…みたいな。

 ぼくは、言った。

「みんなが怒り出した気持ちはよくわかる。ある意味とても大切な表現だったと思う。A君だけの授業ではなくて、教室にいるみんなが一人ひとり大切にされたいんだよね。ぼくらの話もちゃんと聴いてもらいたいんだよ。そういう、クラスみんなの願いの表れだからね。ただ言い方が攻撃的だったからA君も、その瞬間は傷ついたと思うけれど…」

 この日、A君はしばらく落ち込んで、その日一日中、静かだったという。でも翌日からはまたお喋りが止まらない。

 では、どうしたらいいか。例えば次のようにA君とみんなに話してみたらどうだろうと提案した。

「授業は、クラスみんなで進めていきたい。みんなが賢くなりたいし、誰もが自分の意見や思いを聴いてもらいたい。そうしたことが大切にされるクラスでありたい。だから、A君だけがお喋りして話し続けるのは、周りのみんなの学ぶ権利を奪ってしまっていることにもなるよ。A君の知識の豊かさはすごいなと思う。それは、授業のどこかで話してもらうようにする。でもみんなの意見をきちんと聴けるようになろう。そのための授業の約束をクラスみんなで話し合って決めておこう」

 こんな感じで、みんなが安心して発言できたり話を聴いてもらえたりする授業ルールを、話し合って決めておくといいね…と伝えた。

 これは、A君の中に、これまで意識の中に上らなかった学級の仲間が存在するようになるということでもある。A君の成長にもつながるし、クラスみんなが話し合って授業ルールをつくることで、みんなも自分たちの意見を先生が尊重し聴いてくれたという事実を作る。そして、安心感のもとに学びを創り出すことができる。

 しかし、これでもA君はお喋りをまた始めてしまうだろう。その時は、授業ルールを書き留めた紙(1つか2つで十分)などを取り出して、トントンと黒板を叩くみたいに無言でそれを示す。A君に、みんなで決めたルールを思い出させてあげる。あるいは片手をあげて「君の話、いまちょっと待ってくれるかな。ちゃんと次に当てるからね」と合図を出す。A君が、ハッと気づいて口を結んだら「A君、いいぞ。そうだね」と、無言で頷き彼の瞳とアイコンタクトして彼の努力を認めてあげる。そして、どこかで彼の発言時間を保障してあげる。そうやって、少しずつみんなの中に位置づけながら話せるようにしていってあげる。

 社会科の授業そのものについては、簡単に話した。

知識の量を問うよりも、授業が始まった瞬間、クラスみんなが「おや? 何だろう」「あれ、これはどういうことだ?」「あっ、わたし気づいたよ」みたいに、その知識とつながる不思議や発見をみんなで「ああでもない…、こうでもない…」と考えあうような時間を持つことができるようい工夫したい。

その時間に教えたいことは、終わりの10分くらいを使って教科書を読んだり資料集などを見てまとめればいいわけで、それよりも、歴史を生き生きと自分ごとにして学ぶ時間を大切にするといいよ…と。

※例えば、手作りの『田げた』を教室に持ちこみ「これは何?」と問う。ヒントから『田げた』であることがわかる。「出土品?」「いや、同じものをね、先生が作ってきたの」「わあ、やるじゃん、先生!」「じゃあ、この『田げた』はどういうふうに履いたのだろう?」「『田げた』と足を結びるける紐は何を使い、どうやって結んだんだろう?」「なぜ『田げた』が必要だったのか?」そんな実際的学びを教室で子どもたちと楽しく語り合いながら展開する。そういう授業をして、最後に『登呂遺跡』のまとめをするとかね…。

できるだけ、クラス全員が平等に「えっ、何だ? 面白そうだな」と、答えの見つからない問いを、みんなで語り合うような授業をつくりだしたいね。

 

 トモカさんと1時間ほどこんな話をした。ぼくから明瞭な答えを出してあげられなかったけれど、トモカさんの元気な様子を知ることができたし、声も直接聞くことができた。これがうれしい。