ばら苑(生田緑地)まで歩く 2024,5,16ブログ
午後の2時、散歩に出る。
「何を着ていこうかな?」
悩む。風通しのよい長袖のシャツを着て行くことにした。腕まくりして! 冷たい水を保温の効く携帯用水筒に入れてリュックに。
目的地は『生田緑地ばら苑』―。
5月9日~5月26日まで開園。いろんな催しが土日に予定されているがそちらはいい。
まず、東高根森林公園を目指して歩く。
途中、見たこともない花を建物の壁の下に見つけた。地を這うような花だ。ヒメツルソバに似ているけれど集まった花びらが白い。1・2ミリの小さな白い花びらが20枚近く集まって一つの花を作っている。小さな小さな花びらの中央に黄色い模様がついている。
名前をスマホで調べると(たまに間違って表示されることもあるらしい)ヒメイワダレソウという名が出てきた。冬枯れするが繁殖力が強く周辺の雑草の成長を妨げる…らしい。
この日も新しい植物の名前を一つ知った。
森林公園の湿地帯でひとやすみ。忘れな草が辺りいっぱいに咲いていた。薄水色のコンペイトウをその辺に散らばしたようは花だ。
木桟道のベンチで少し小説を読む。『長いお別れ』(中島京子著、文春文庫)。
再び歩き出して、東名高速道路の上の橋を渡り、長尾小や妙楽寺方面にはいかないで、右に曲がり高速道路沿いの坂道を降りた。
バス通りに出て長尾橋に向かって歩く。途中、藤子不二夫ミュージアムを左手に見てさらに直進する。そこに『生田緑地ばら苑入口』があった。
スタッフの方が入口に並んでいて、歩行者と車を分けていた。その1人が言った。
「こんにちは。この先にある100段の階段を登りますと、そこにばら園があります」
数年前、いや10年近く前かな、この場所は一度来たことがある。だから何となく覚えてはいた。
歩行者用の坂道をどんどん登って行くと目の前に木製の階段が見えた。かなり急な階段だ。一足一足登って行く。
時刻は午後の3時半。ばら園の鑑賞を終えて帰る人たちが上段から降りて来た。
ここはかつて小田急向ヶ丘遊園のあったところ。
ぼくは、幼いわが子2人をつれてこの遊園地で遊ばせたことがある。また、6年生を担任した冬休み、クラスの子たちみんなを連れて、ここのスケート場で遊んだ。保護者数人も参加してくれた。懐かしい。
今はその面影はなく、緑の木々が辺りを一帯を包み白い階段だけが残っている。30人近い子どもたちが横並びして歩けるような広い階段だ。
雑木林を抜けると、入り口があった。入り口は、丘陵地の高いところに作られていた、ばら苑全体を見渡せる。
一歩踏み出すと、思わず声をあげたくなるような色彩の空間がそこにあった。
バラ、バラ、バラ、バラ…! そこらじゅう、バラだらけだ!
辺り一帯、色とりどりのバラが、大きさも形もちがう様々なバラが咲いている。
近づいてみると1本のバラの木に美しい花が咲き、その周辺に明日の開花を待つ蕾が並んでいて、一方では、すでに咲き終えた花が少し萎れて華やかな生を終えようとしている。一本のバラの木に、蕾と満開の花と萎れ枯れ行く花とがあって、それらが同じ時の中に共存している。ただこれだけのことなんだけれど、何だかぼくの心を動かすものがあった。
入場料は無料。遊園地が廃止された後、ばら苑を残してくれという住民の要望で、今は川崎市がその後を引き継いでいるとのこと。募金箱が入り口に用意されていて、ぼくは500円玉を一つ入れた。
公園内をゆっくりと一周する。
たくさんの人たちがバラを観賞していた。
まだ午後の陽射しは強く、どこかに日陰を探して座ろうとしたが、日陰のところにあるベンチは、どこもみんな観賞者が座っていて空きはなかった。しかたがないので、入り口に戻り、そこにあった背もたれのない入場待ちの人用の(?)椅子に座って、再び小説を取り出して読んだ。
帰り道は、そのまま宿河原駅に出る。歩いて10~15分ほどの距離かな。二か領用水沿いの一段低くなった水際の歩道を歩いていたら
「宿河原駅はどうしたら出られますか?」
と、ハイキング姿の一人の女性に尋ねられて、
「もうすぐそこですよ。ぼくも今から駅に向かいます。一緒に行きましょう」
と言った。
帰宅は5時。けっこう疲れた。