都留教育を読む会 奈良の鈴木啓史さんを迎えて     2024,4,25

 4月24日(水)午後6時から都留文科大学『教育を読む会』が行われた。

 ぼくはZOOMで参加。

 院生になったS君の今朝のFBを見ると、昨夜の参加者はZOOMもあわせて総勢25名。けっこうな人数になったね。

 今回は、4月号第1特集・鈴木啓史さんの論文をみんなで読み合った。鈴木啓史さんもZOOMで参加してくれた。うれしい。

 司会は阿部先生。

 

 鈴木さんには、最初の自己紹介のところで、現在「附属小」の教育が「不適切」という言葉で“不当な攻撃”を受けているが、奈良教育大学附属小がこれまでどういう教育や教育実践を大切にしてきたか、どんな思いで子どもたちを育てようとしてきたのか等についてお話しいただいた。この間の経過などにはあまり詳しくは触れずに…。

 鈴木さんは語られた。

「「附属小」(奈良教育大学附属小のこと…以下同じ)は特別な学校を目指してきたわけではありません。ずっと“ふつうの学校”を目指してきた。目の前の子どもを丁寧に見て、その子とどうむきあっていったらよいかなどを考えながら実践してきた。(学校には)いろんな行動をする子がいますが、「この子の行動の意味は?」などと問いながらの実践です。みんんで話し合いながら、教育を集団で作っていくことを大切にしてきました。

 学校を作っていくのは子どもたちと保護者と教員たちです。互いに意見を出し合って作って行く場を大切にしてきました。これは当たり前のことなんですけれど、他の学校ではだんだんやりにくくなってきたのでしょうね…

 …略…。」

(以上は、山﨑による聞き書きです。正確な引用ではありません)

 

 さて、『読む会』はいつものように、該当論文を1人の学生がわかりやすく読んでくれた。今回は院生のIさんだ。書き手の思いと論旨がとてもわかりやすく伝わってくる。読み手が変わっても毎回この読みに感動してしまう。ありがとう。

その後は、質疑を含めて自由な感想・意見交流となった。

 例えばこんな質問…

Q:鈴木さんの論文中にあった「子どもの“なっとく”」を大切にする日々の教育実践についてですが、それを通さないで「教師の思惑にそって“忠実”に従わせる」教育との違いについて話してほしい。

Q:鈴木さんは、子どもたちを「叱る」ことってあるんですか?

Q:4月から2年生の子どもたちを教えています。チャイムのある学校なのですが、子どもたちはチャイムが鳴ってもすぐには席に着かない。「子どもをおさめられない教師」みたい見られたり感じたりしてどうしたらよいか悩んでいますが?

Q:休み時間のもめごとを授業に持ち込んでくるときがあると思うけれど、こうしたときどうすればよいか?

Q:私が受けて来た教育は、ほとんどが「~あるべき」という考え方で強い指導をされる先生たちだった。都留で学んだり奈良教や和光の授業などを見学させてもらったりして、私もそういう教師になりたいなと思ったけれど、私の中に染みついた経験を変えて、そうした教師になっていかれるか不安に感じてしまう。

Q:春、新任教師となった人から学校で子どもたちを動かす「号令」に悩み戸惑う様子を聴いた。(※「授業を始めます」「お願いします」「ありがとうございました」…などのことかな?…山﨑)

Q:教室の子どもたちが交わす言葉の中で、心傷む言葉「〇〇がいて授業になんないよ」とか「あいつさえいなければ楽しく遊べるのに…」などの言葉がでてきたとき、どういうふうに対応するか。また子どもの関係性をどう作っていったらよいか。

 

 こうした問いに対し、鈴木さんはやさしく丁寧に、そしてわたしたち教師にとって大切な子ども観を示しながら答えてくれた。

 読む会に直接参加した現役教師の谷口君や村角さんの他に、ZOOMで参加してくれた現役教師たち(初任者も幾人か)もそれぞれの視点から、こうした問題をどう考えるべきか、どんな対応が可能か、“私の工夫”などが語られた。

 ぼくも、気づいたことは話させてもらった。

 

 今回は、千葉や奈良の学童保育の方も参加されていて広がりに驚く。

 8時終了。

 濃密で豊かな思いにさせてくれた『読む会』だったなあと思った。

 4月から初めて教師になった仲間たちも数人、そして大学の新3年生・4年生たちの初参加もあって充実していたね。

 教職支援センターの泉先生や阿部先生、そして春から新たな教員として加わって下さった藤田先生、お疲れ様でした。