花いっぱいになあれ      2024,4,11ブログ

 一昨日のブログで、『ちいさいモモちゃん』(松谷みよ子・作)シリーズの中の『雨 こんこん』の話を思い出し、モモちゃんの歌を紹介した。

 今日もブログを書こうとしたとき、突然、『花いっぱいになあれ』(松谷みよ子・作)を思い出した。何だろう…この感覚? 不思議な感じ。物語『花いっぱいになあれ』は、今から30年~40年前、1年生の『こくご』の教科書(光村だったかな)に載っていた。

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 なぜこの言葉を思い出したかというと、昨日の散歩のとき思わぬ風景と出会ったんだ。

これまで「開花はまだまだ先のことだろうな…」と、思っていた花たちの蕾が「わっ!」と一度に咲き始めて、その存在感に驚かされたんだ。辺りを一瞬にして別の風景にしてしまう花の力と言っていい。

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昨日の散歩をちょっと振り返ってみる。

 民家の庭のモクレンは、もう開花の時期を終えて幹全体に緑の葉を広げている。逞しい力を感じる。東高根森林公園に入ると桜はすっかり葉桜となっていた。風が吹くたびに白やピンクの花びらが舞い落ちる。

 山の木々は、けぶるような緑が枝先に…。池の近くに植えられた大きなカツラの木は、もう5月の風情だ。3月の終わり頃は、太い幹と裸ん坊の枝たちだけが青空に寒々と広がっていたが、今はすっかりハート型の葉で覆われ、見上げるぼくの視線の先に青空が見えない。

 湿地帯にかけられた木桟道を渡り終えて竹林に入ると、辺りはシャガとヤマブキがたくさん咲いていた。

 ところで、ぼくがこの日驚かされたのは、妙楽寺の庭でなんだ。

 牡丹が咲いていた!

 一昨日、散歩して境内に足を踏み入れたときは、牡丹の花はまだゴルフボールくらいの大きさで蕾のままだった。蕾の先がほんの少しだけ緩みを持ち始めた程度…。

「蕾が少しふくらんでいるな…。いつ頃開くかなあ」

って思っていた。

 ところが、今日訪ねてみたら、大輪の花が3つ、4つ、…辺りを圧するように咲いている。見事に風景を変えている。

 あれからわずか2日しかたっていない。ぼくの耳に、何だかコトリと牡丹の花の蕾の開く音が聞こえてくるような気がした。

 

 ぼくは、この日散歩を終えて自宅に戻って来た。するとここでも驚かされた。

 ぼくの住む集合住宅の歩道脇には八重桜が何本も植えられているのだけれど、それが見事に咲き出したのだ。

 2日ほど前までは、丸い小さなビー玉くらいの赤い蕾が枝先についていて、だんだんふくらんで来たなと思っていたんだけれど、それが「ぽっ、ぽっ」と音を立てるかのように開き始めた。

 昨日見た花はほんの数えるほど。それが、みるみる開花しはじめて、今は幹よりも花の方がはるかに存在感を増している。

 八重桜の木々は刻々と姿を変えて、たわわな花たちでいっぱいになったのだ。

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 こんなわけで、ぼくは突然、松谷みよ子さんの『花いっぱいになあれ』の物語を思い出したんだ。

 八重桜の並木の下では、庭付きの家の2軒の柵にモッコウバラが咲いている。ひとつは黄色、一方は白。これも見事だ。

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 ところで、松谷みよ子・作『花いっぱいになあれ』は、小学生の子どもたちが風船に花の種をつけて校庭から飛ばす。「花いっぱいになあれ!」と言って。その1つの赤い風船が、いくつもの山を越えてキツネのコンが昼寝しているところにフワリと舞い落ちる。コンの喜び。コンはそれを花と間違えて一心に水やりをする。だけれど、ある日パタリと萎れてしまう。コンの悲しみ。しかし、風船に結びつけられていた花の種が、春になってすくすくと育ち、みごとな花を咲かせる。それは、ヒマワリだった。

 そして、いつの日か、山はヒマワリでいっぱいになる…。こんな話だったかな。