京都の吉益さんの家で猫たちにあう            2024,3,30ブログ

 3月下旬、京都を訪ねた。東山にある宿に泊まる。ほぼ毎年この時期京都に来て満開の桜を見るけれど今年はまだ蕾のままだった。

翌朝、大阪中之島美術館まで出かけモネ展を観に行く。“光”と“時”の連作が展示されていた。初めて観る絵もたくさんあった。次の日は霊鑑寺を訪れ、たくさんの種類の椿を観た。

 29日は、友人・吉益さん宅を訪問。1月に会いに行く約束をしていたが、ぼくの体調不良で実現できなかった。今回やっとそれが叶う。

「11時、JR桂川駅の改札口で待っていますから…。改札口は2階です」

 ぼくは、地下鉄に乗り東山から山科に出てJR線に乗り換え桂川に向かうことにした。そこまでは順調だった。しかしこの後、大失敗をした。

 列車が京都駅に着いたとき、ぼくはそのまま座席に座り通路に乗ってくる客を見ていた。

「あと2駅乗れば桂川駅だな…」

ぼくはすっかり安心していた。ところが、列車が動き出してすぐ、車内アナウンスが聞こえてきたのだが、ぼくはそれを耳にして驚いた。

「次は~、高槻~…」

 確か、そう言っている。

 慌てた。

パソコンの路線案内で確認したときは、ちゃんと11時前に桂川に着くと表示されていた。高槻といったら大阪府じゃないか。どこでどうなったんだ。

 頭の中に地図を浮かべるが桂川駅との関係がわからない。辺りを見回すと車内は外国人観光客でいっぱいだ。どうやら特別快速に乗ってしまったみたいだ。

「みんな大阪に向かっている! どうりで大きな荷物を持っているはずだ」

 不安の中で高槻に電車が着いたのは11時10分。階段を駆け上り吉益さんに電話を入れた。

「ごめん、大失敗! 電車を乗り間違えてしまった。高槻に来てしまった!」

 すると吉益さんがやさしく教えてくれた。

「大丈夫。そこから京都駅行きの普通列車に乗って下さい。6つ目の駅が桂川だから…。20分くらいで着きますよ」

 申し訳ないなと思った。

 今度は快速には乗らない。各駅停車の電車に乗った。

電車は、島本、山﨑、長岡京、向日…と、何だか歴史の中で聞いたことのある駅に止まりながらゴトゴト走る。遠くに黄色の絵の具を塗りつけたような菜の花畑が見える。よく晴れた温かな一日。

 桂川駅は、向日駅を出て1・2分で着いた。

 2階の改札口に向かうと、吉益さんの姿が見えた。手を振る。

「申し訳ない。30分遅刻だね」

 大きなイオンモールで昼をとった後、車に乗って吉益さんの家に向かった。

 吉益さんの家は、向日丘陵(遥か昔、この丘陵のことを『長い丘』=『長岡』と言ったらしい…)の石垣の積まれた住宅街の一角にあった。

 部屋に上がると、日当たりのいいガラス戸の前に、日向ぼっこしている猫がいた。白黒のブチ。側溝に落ちていた子猫を吉益さんが救い出して自宅で飼っているという。ぼくの家のライラと同じくらいの年齢か。

 そばに行って耳の裏と喉元を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を閉じている。見知らぬ人間であるぼくを受け入れてくれた。「まあ、お前には触らせてあげる…」と。

「『ハルカ(はるか)』って言うの」

 吉益さんが言った。

 それから、ぼくらは居間のテーブルをはさんでお喋りをした。話題はあっちに飛びこっちに飛び、自由気ままな感じ…。互いに好きな本のことや相撲のことなどをあれこれと。

 相撲については、ふだん誰とも話題にしないけれど、吉益さんが送ってくれる『京都教科研だより』の編集後記(?)にその話題が載っていて、ぼくはそれを目ざとく見つけ楽しみながら読み、互いが相撲好きであることを知って話が盛り上がるというわけ。

 お喋りの途中、庭に目をやると石造りの水瓶の上に白黒の猫がやってきて水を飲んでいる。

「あれは、さっきのハルカ?」

「いや、あれはリリーっていうの。庭にやって来るんだよ」

 この日驚いたのは、同じような白黒のブチの猫が数匹、玄関横の敷石の上や瓦造りの塀の上で日向ぼっこしていたこと。ライオンの家族が安心して時を過ごしているようだ…。

吉益さんは、1匹ずつ名前を呼んだ。

 ぼくは、瓦で休んでいる猫にちょっとだけ触らせてもらった。こちらは飼い猫ではないというけれど怒らない。

 今回ご吉益さんのご自宅を訪問させてもらって驚くことがたくさんあった。家の中も、庭の周りも…! 

 家の中はゆったりと時間が流れている。

 そして庭には、春を告げる黄水仙と満天星躑躅(どうだんつつじ)が咲き、ユキヤナギの白い花も咲いていた。もちろん、いろいろな種類の植木も並んでいて…。

 とても素敵な時間を過ごさせてもらったなと思った。