Mカフェ・2月の集まり               2024,2,23 ブログ

 2月23日、外は、冷たい雨。

 午前9時40分、ぼくはM駅改札口前広場に立った。今日は、Mカフェの開催日だ。鞄を足元に置いてメールをチェックしていると側で声がした。

「お早うございます!」

 慎二君と耕一君の2人が目の前に立っていた。

 3人でしばらく待っていると、将人君が改札口の方から歩いて来た。そして、友莉子さんも合流。

「遠くからやってきたね。連絡したら悪いかなと思ったけど、『突然、今日暇になってしまった…』なんて書いてあったから…」

 そう声を掛ける。

 5人で輪をつくり、話をしていると新たに一人の青年が加わった。都内の小学校で教師をしている和樹君だ。初めての出会い。

「山﨑さんのブログを読んでいます…」

「涼子さんから君の参加について連絡を受けていました。和樹君、よくいらっしゃいましたね。待っていました」

(※和樹君、慎二君、耕一君、将人君、友莉子さんなど、Mカフェのブログに登場する若者たちはみな仮名にしています…)

 ここに修介君が加わって、みんなで雨の中を会場まで歩いて行った。

 

 冷たい雨の中だけれど、この若者たちの発するエネルギーが、特別な光を放っているように感じた。

 

 会場は、駅から徒歩5分のところ。

 2階の受付をすませて5階の理容・美容実習室に行く。机が『ロの字』型に並べられていて互いの顔を見て語り合える。

 席を自由に決めていると、部屋の扉が開いて坂田さんがいらした。うれしい。きょうはこの仲間で語り合う。

 (※以下、この日のみんなの語りの一部を紹介させていただくのですが、曖昧な聴き取りの部分もあり、本人の思いを伝えるような正しい表現になっていない箇所もあるかと思います。文責は山﨑にあります。ご了解を…)

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子ども時代の悪戯と“わたしニュース”

 最初にお喋りの“お題”を出した。1つは子ども時代の悪戯。もう1つは“わたしニュース”。これは、1・2月、自分の周辺に起こった出来事から、みんなに語りたいことを自由に話してもらう時間。適当にぼくが名づけてみた。

 この語りが、毎回実に面白いんだね。つい質問したくなって、どんどん深みにはまって行く。でも、いつのまにか『教育カフェ』らしい内容になっていくから不思議…。語りかける仲間がいて、自分の話を真剣に聴いてもらうって、とても大切な時間だと思う。

 以下、みんなのお喋りの内容を公開できる範囲で簡単に記しておく。

 

坂田さん:小さい頃の話ではなくて高校3年生のときの悪戯を覚えている。私が通っていたのは県立高校の私立文系クラス。全員が女子。日本史担当の若い2年目の先生だが、授業がいい加減で、説明や内容などに納得できなかった。そこでちょっとした悪戯をして、その後、授業の改善を申し入れた。その先生とは教育実習のとき再び出会うんだけれど…。

 最近の自分に関わるニュースについて。

 沖縄で講演を頼まれて話に行った。近いうちに北海道で話す予定ですが。沖縄での講演では、砂川闘争の話を求められる時と、教育に関わる話を求められる時とがあって、頭の中の整理がつかないときもあって大変。

 沖縄での道徳の授業の話を聞いたけど、1単元終わるたびに『道徳の木』が教室掲示されていて葉っぱを1枚ぬる…そんなことが決められている学校があるとのこと、この話にびっくりした。

 

友莉子さん:私は、親がけっこう厳しくて「よい子」をしていたと思う。いたずらする男子に注意なんかして。でも1・2年生の時は、「よい子」ではなくて、席の一番後ろに座っている時、椅子に腰かけたまま後ろにひっくり返って遊んでいた。隣の子が笑うのが楽しくて! 椅子の後ろにはナップザックがかけてあって怪我はしない。この時、先生に叱られて前に立たされた。(子どもらしい友莉子さんだったのかな)

 続いて最近のニュースから。

 昨日、授業参観があった。クラスとして劇を演じ保護者に観てもらった。

 内容は、子どもたちのアイデアを大切にして話し合い、私が脚本を書いた。練習中、効果音を出すためにアイパッドを使って毎回楽しんでいた。ところが、私のクラスに対してではないけれど「教室でアイパッドを使っている先生がいる」というクレームが教委に入ったみたいで、校長から使用禁止を申し渡された。

 私は4月の初めに、「私物としての端末・教室持ち込み利用について」申請し許可を得ていた。それなのに「使用は認められない」と言われ、子どもたちにそのことを泣く泣く伝えた。

 すると、3年生の子どもたちが「デモに行こうぜ!」なんて言い出してビックリした。『ちいちゃんのかげおくり』の授業をしていたとき、「これから君たちが大きくなってもね、戦争なんか起こしちゃだめだよね。間違ったことはしちゃダメってちゃんと言うといいね」なんて言っていたから、その影響もあったかなあと驚いてしまった。

 子どもたちは、校長先生のところへ端末使用の願いをしに行った。そこに私は関わらなかった。すると「自分たちで音を作って流せば」と校長先生に言われて彼らはもどって来た。

 私はこの経過に納得できなくて組合に相談し教委と話し合ってもらった。「了解をとっていれば端末使用OK」の返事をもらう。それを校長さんに伝えて何とか実施できた。

 

和樹君:今年は4年生30人の担任。通常級の子どもたちを担任するのは初めて。

 日々ドラマが起きている。昨年の5月くらいから「この学級をまとめていくのが大変」と思いながら周囲の先生に助けられて今日までやってきた。しかし、この1月2月がとても大変で、今が一番しんどいかな…。

 一部の子たちとの関係がうまくとれなくない。自分が担任じゃないほうが、子どもたちが伸びたのかな…なんて考えたりして。でも、教師を休みたいとか辞めたいとかは、今日まで一度も思いませんでした。学年が終わるまであの子たちと一緒にいてあげようと思っています。

 昨年の9月頃、学級の様子をある学習会でレポートした。そのとき「子どもたちの声を聴く」ことを大切にしたいと思い実践してきたことを話したけれど、いま改めてふり返ると、「子どもたちの発するSOS」については聴き取れていなかったんじゃないか…って思う。

 

坂田さん:和樹さん、この1年、辛い思いをしてきたね。でも“辛い思い”がある意味、教師を豊かにしてくれる…。成功体験だけで生きるとき魅力ある教師にはなれない。この経験を大切にしたいね。(坂田さんは、Mカフェの時間を気にされ一言だけお話された。語りたいことはたくさんあったと思う。申し訳ない…)

 

山﨑:よく、今日までやってきたね。子どもたちの前に立ち続けて…。そして、彼らのSOSを聴き取っていなかったかもしれないという発見に驚く。すごいなと思う。

(この日、Mカフェ終了後、昼を食べに行ったとき「子どもとのすれ違いは女の子のグループではないの?」と尋ねると「そうです」と和樹さんが話してくれた。

以下は、Mカフェで語った内容に加えて昼に語ったことなどを含めて、ぼくの考えを記している)

 小4の女の子たちだけどね(この時期、子どもたちは自分と関りを持つ大人(教師)の姿がよりリアルに深くとらえられるようになっていて、自分にとって不快な思いや(その子が取り入れた文化とか生活感情からみてだが…)納得できない対応があったとき、それを批判的に見て、同じ思いをする仲間に共感を求めるような場合がある。これはある意味で成長の一つだと言っていいと思うけど…)、3月の学年が終わる前に、互いのズレを修復して「よい関係」で5年生に送りだしたいね。

 1つの解決法だけど、その子たちに声をかけて放課後とか休み時間、特別の部屋で直接話をしてみてはどうだろう。まず時間をかけて聴く。こちらに言い分があっても、彼女たちが何を苛立ち、どんな思いを抱えていたのか、それを丁寧に聴く。ある意味真っ当な意見だったら、こちらの対応を具体的に変えていく。充分聴き取った後、教師の真の願いを伝える。勿論、許されないこと、人を傷つけるようなことには同調しない。

 「私たちは先生から愛されている、大切にされている!」と思えたとき、関係性に変化が生まれてくると思う。とても勇気のいることだけど。

 そしてもう一つ。学級のみんなに誠実に語りかける時間を取りたい。例え、否定され笑われても、和樹さんという一人の人間教師がどんな思いでクラスのみんなを大切にし、願いを持ってこれまで生きてきたかをしっかり語りたい。

 その思いは、彼らの深いところに残るだろう。学年が終わってサヨナラした後も、いつの日か「あの先生は、とても誠実にぼくたちに語りかけてくれたな。大切なことをきちんと伝えてくれたな」って思う日がくる。“人間の根っこ”に呼びかけるのね。「至らないぼくだったけど、ここまでは教師としてちゃんと伝えたぞ!」って誇りをもってその後の教師人生を送れたらいいね。

 

和樹君:2つ目の話。小学校の高学年の頃だったかと思うけど、掃除の時間、羽目を外していた。特に体育館掃除などで…。(自由に体育館内で倉庫に入ったり、マットや跳び箱に乗ったりして遊んだのかな)。

 掃除はいつも5分前には終わって、それからぼくが終わりの言葉のとき何か言って遊んだ。でもある日、担任の先生が来てみていた時は、ふつうの挨拶しかできなかった。

 

耕一君:高校時代、ぼくは先生の「ものまね」をして遊んでいた。ある先生の声の真似なんだけど。

 授業の始まりを知らせるチャイムが鳴った時、廊下からその先生の声色で教室に語りかけた。そしたら、みんなサッと席について先生が顔を出すのを待っていた。ところが先生は来ない。こんな悪戯ね。

 ぼくは剣道部に所属していたんだけれど、他校との試合で部活の先生が試合に出る生徒を名指しする。どうも先生と目があった人が選ばれてるみたい。ちょっと輪の後ろに下がって後輩を前に出し、ぼくは姿を隠していたら一度も名指しされない。後で前に立つと「あれ?お前いたのか」何て言われた。こんな悪戯。

 ニュースについて。保護者に対する学校報告会が行われた。学校の1年間を5分の動画にまとめるように言われてそれをやりとげ喜んでもらった。最後にぼくのキャラクターのペンギンを出したり、学校のキャラクターを写したりしたんだけどね。

 

慎二君:いたずら物語で2つ。1つ目、小学校の理科室そうじの思い出。ぼくたちはあんまり掃除などしたくなくて、理科室担当の“かわいい先生”の周りに集まって、「先生さあ、あのね…」っていろんなお喋りをして、掃除をやらずにいた。

 2つ目、中学生のとき「シャープの芯が電気を通すぞ」って言って、みんなで輪になって芯を持って繋がって電気を流した。人間の手の抵抗があったとおもうけど、「ピッ」と小さな痛みみたいのが走った。あと割りばしをコンセントに入れて両端をティッシュでつなぐいたずらをした。ティッシュが熱を持って燃えそうになった。

 自分にかかわるニュース。1年生の学年の先生がインフルエンザなどに罹ってお休みしてこの間とても大変な状態が続いていた。最近、月曜日に休む子どもたちが多い。(教師の数が4月から足りなかった話なども出たね…)

 

将人君:いたずらの話。中学の社会科の授業のこと。担当の先生は60歳くらい。

その先生は予習課題を出して授業になると“お気に入りの子”を立たせる。立たせて、質問を続ける。たいてい先生に覚えのいい子、よくできる子が当てられていた。

 まず教室に入って来て、「〇〇、立て!」と言う。それから、学級全体の挨拶。

 ぼくが、たまに良い点を取った時、「将人、立て!」と言われてたくさん質問された。そういう意味では、みんな結構勉強になった。

 そんな先生だけど、ぼくらはちょっと遊んだ。当てられて質問に答えているんだけど、先生から「座ってよし!」って言われないのにコソッと座る。そうすると先生が、「お前、俺が『座れ!』って言ったか」と言う。「ハイ、言いました」って答えた。すると先生は「そうだったかなあ」と言って次の指名となった。でも、時々「いや、俺はまだ座れって言ってないぞ」って騙されない時もあった。(半分、先生もわかっていて楽しんでいたのかもね)

 ぼくに関わるニュースについて。今年は臨採として4年生の1クラスを担任してきたけれど、両隣の先生は力量のある先生で、自分のクラスとの“差”がでてしまったのではないかと思う。とてもよくしていただいたけれど。“ひけを取らない”学級にしてあげなくてはと思った。そういう点で子どもたちに対し悪かったかなあと思う。

 

山﨑:将人君が、自分のクラスを見つめながら両隣の先生の力量の“すばらしさ”を感じたのは、それはそれとして素敵なことだと思う。自分の力量をもっと高めたいって感じていることだから。でもね、子どもたちが君と言う教師と生きた時間は決して“ひけを取る”ようなものじゃなかったと思うよ。2人の先生は君の努力を認めているし、実践のことで“ダメだし”なんかしなかったんでしょ。若い君の持つ可能性や力に敬意を表していたんだと思うよ。

 

坂田さん:力のある教師は、他の教師の悪口を言ったり上げ足をとったりしないね。(鋭い言葉です!)

 

修介君:自分ごとのニュースから。

 2月14日、英語の研究授業をしたんです。(この高校では研究授業をするんだね)。指導案については細案もキッチリ書いて授業に臨んだ。先輩教師から授業前に言われた。

「修介君、君はいつも授業案の終わりまでいかない。今回はきっちり最後まで時間内にやり遂げよよ」

って。

 5時間目の授業が始まってどんどん時間が過ぎていく。気づくと終わりの時間が近づいていて、まだ予定の4分の3しかやり終えていない。焦った。それでも何とかやりおおせて、終わった瞬間、「おわったあ!」って叫んで教卓に突っ伏してしまった。

 そうしたら生徒たちが寄って来て、ぼくの疲れ果てた姿を見て「かわいい」とか言いながら、この日はバレンタインデーだったから、チョコをいっぱい机に乗せてもらった。(わあ、うれしい経験だね!)

 2つ目。ぼくは、高校の部活動について言いたいことを持っている。テニス部を担当していて部活動そのものは好きだけれど、これだけで生徒たちの生きる世界を囲い込んでしまってはいけないと思っている。13歳から18歳頃までのこの時期にこそ知らなければならない世界と触れる必要がある。

 そう言う思いと共に、今行われている部活動の制度そのものにも大きな矛盾や問題があると思っている。この間、文書にして校長にそれを提出した(すごいなあ!)。

 部活動の顧問の仕事が、時間外労働について自主的ものにさせられ、残業時間にカウントされないまま見過ごされているのは許されないことだと思う。そして、土日などの部活動の大会への引率等で事故があれば部活担当教員の責任が問われたりする。でも、部活指導を任命したのは管理職にあるのだから、何か問題が起きた時など校長が責任をとるのが当然のことだと思う。

 昨年の夏、部活動中、熱中症で気分を悪くした生徒が多くいた。それで、生徒たちは練習をやりたがったけれど命の危険などの意味を繰り返し語り、限度を超える気温のときは部活中止などの措置をとらせてもらった。熱中症への危険の知らせやそうした値が示された時、部活中止の対応を取るべきではないかと校長に話したが、聞き入れられなかった。来期は部活を持たないつもりだが、こういうことを何とかしてほしいと文書をまとめ校長に提出した。自分の生き方として、一人の教師として声を伝えたいと思った。

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 この後、耕一君が『国際教室の担当になって』という報告をしてくれた。この報告についてはいつかまたチャンスがあったらブログでお伝えしたい。