霜村さんの本を楽しむ                   2024,2,21ブログ

 霜村さんの新著『やわらかな教育をもとめて』を読んだ。

1,霜村さんという人間の持つ“深いやさしさ”と“子どもたちへの愛”“教育の真実を求める力”があふれ出てくる本だ。そして、今を生きる若い教師たちへの愛と信頼も!

 そもそも、学級通信の名を『ラブレター』としていた霜村さんだからね。

 全編を通し、この“やさしさ”と“愛”が、教育を歪めるものとか、学校の魅力を根底から奪うものに対し、深い憤りとなって歯に衣を着せぬ内容で容赦なく表現されている。そうした意味では霜村さんの教育哲学や思想とつながる“硬派”の本だとも言える。

 霜村さんの声は、ぼくの体の奥にある声と重なる。何だか側で語り合っているような気がする。

 

2,一方、この本がどんなふうにして出来上がったかを知ると、とても心が温かくなる。勇気づけられる。

 霜村さんのブログを読み、心を動かされた杉浦孝雄さん、末定整基さん、鶴田めぐみさんたちが「これは本にまとめて多くの人々に読んでもらうべきだ」と彼を説得し、編集実務を担い、内容を整理し、あとは霜村さんが『はじめに』と『おわりに』を書けばよいだけにした…みたいだ(ぼくの推測も入っているけれど)。そして、ついに1冊の本がまとめられ出版された。

 この経過を知ると、杉浦さんや末定さん、鶴田さんたち3人の人間的な魅力も強く伝わってくる。霜村さんが書くブログそのものが持つ“時代を打つ力”、“真の教育を求める声”を誰よりも深く読者として共感し、それを自らの声に重ねた人たちなんだろうとも思う。もしかしたら、名前を出さないけれど他にも声をあげたり協力したりした方がいらしたかもしれないね。

 

3,ここから後は、ぼくがこの本を読んで心動かされた言葉の中からいくつかを取り出し紹介しておきたい。

 実際は全編を読んでもらうのが一番いいので霜村さんに直接購読を申し込んでいただきたいけどね。

 以下、ページを追いながら。

①    子どもがまずは学校に来てくれれば、忘れ物は何とかなるものだ… p11

②    遊ぶことに夢中になって(それ以外でも)トイレで用を足し忘れる子はいるものです。夢中になって忘れていた。それが子どもというものです。   …p18

③    「~さん」と呼ぶのは、一見子どもを大事にしているようですが、呼称の一律押し付けは子どもを見ていないことになる…

 子どもとの応答はもっと全体重をかけて行うものです。多彩で多様です。個性的でもあります。…p36

④    「声」には思いがあります。ですから、教室で子どもたちが出す「声」を数量化するというのは、子どもの内面を受けとめることとは無縁でしょう。また「声」は個性的なものです。(教室に掲示されている「声のものさし」に対して) …p41

⑤    (若い教師に対する支援で)「自分のしたいことはなあに、それを忘れないで」 …p51

⑥    ぼくは現場にいたときは、指導案の絶対化・形式化には異議を唱えました。自分は教材をしっかり検討し、読み込みますが、肝心なのは授業そのものであり、子どもたちの反応は予想通り(意図通り)には行かないことが多く、その時に子どもと一緒にどう考えて、当初の予想を修正しながら、どう生きた授業にしていくかが問われていると考えていたからです。だから授業はライブだと言い続けました。  …p89

⑦    「魂への犯罪」が善意という衣を着て行われているところに、教育の問題があります。 …p101

⑧    教科書をなぞるような学びをしないこと、目の前の子どもに届く学びをつくろうと思いました。…p122

⑨    子どもたちに敬語を強制するのは、子どもの言語の発達の観点から言っても、言葉の発達を歪めます。子どもたちはまず使っている言葉を自由に表現すること、そして、言葉の使い方の誤りも含め共感される中で、さらには多様な経験を経て言葉を場に合わせ、意味も考え使えるようになっていきます。  …p165

⑩    (イーハトーブの旅…)この旅は、間違いなく1つの学校だったということでしょう。…p186

⑪    (賢治の教師時代の生き方から思うこと…)誰かの評価のために実践するのではない。自分の初心を忘れず、子どもたちのために実践するのだという覚悟こそ求められているのではないでしょうか。

 …p191

⑫    若者の真(まこと)の力は、周りに合わせることからは生まれない。苦しみを乗り越える力は、大きなる意志を感じ取る自分自身の中にあるのです。 …p192

⑬    (賢治は授業がうまくいかないとき生徒のせいにはせず、自分の至らなさを呪い(推測だけど)チョークを噛んだ…)ぼくも、授業に集中しない子どもを見いだす度に、自分の情けなさに辛くなりました。子どもは悪くない。子どもが集中したくなる授業ができていない。面白い授業をしなければと痛感していました。 …p194

                     ※

 以上、この抜き書きの文章を初めて目にする方には、霜村さんの教育哲学や思想、あるいは実践に対する具体は見えてこないかもしれない。彼を知る仲間たちは深い納得があるかと思うけど…。

 繰り返すけれども、彼と思いを共有する友人の1人として、是非、本書を手にしてくださることを願っている。

さらに、今回のブログでの紹介は、ぼくが私的に取り上げた文章や言葉ですから、多くの皆さんが本書を読んで下さった時、さらに多くの刺激的学びや発見があるかと思う。それもまた、自由に集まって酒を酌み交わしながら(「お酒…」と聴いた瞬間、霜村さんは喜んで参加するでしょう!)ゆっくりと語り合ったら楽しいだろうなと思う。