「辛さを乗り越えて、いま希望が見える」―。
これは、R県で新任教師として採用され4月から働いてきたWさんのこと。
Wさんも、多くの若い仲間のみなさんと同じように希望に燃えて教師になった。担任したのは高学年。なかなか一筋縄ではいかない子どもたちと出会う。
一学期のあいだ授業づくりや学級づくりに奮闘するのだけれど、子どもたちの幾人かがなかなか心を開かず反発する。
「お前の顔なんか見たくない!」「消えろ!」
そんな言葉も投げつけられる。
(もしかしたら、これを読んでいるみなさんも、同じように心無い胸を抉られる言葉を子どもたちから浴びせられたかもしれませんね。そして耐えてきたのでしょう)
しかし、Wさんは心を痛めながらも一歩一歩前進していく。
そうだ、前進というより、「二歩後退、一歩前進」というくらいかな…。
そんな、希望の見えないジグザグの遅々とした歩みを続けていく。
ぼくが、この内容のメールをもらったときは、すごく胸が痛んだ。
「大丈夫かな」と思った。
そんなWさんから、1月になって新たなメールをいただいた。
≪…怒涛の二学期を何とか乗り越え、先日、課題研修の研究発表が終わりました。いつも気がかりだった初任研も、校内研修を残すのみとなりました。
一学期は学級崩壊寸前といわれたクラスでしたが、何とか立ち直り、やっとみんなが落ち着いて生活を送ることができています。
私の声を拒絶していたA君も、私の給食を運んでんくれるようになりました。一学期のあの心無い言葉が、今となっては笑い話のようです。
先日、その子について相談に乗って下さった先生から「本当によく頑張ってきたね」と、声をかけていただきました。彼自身にいろいろな『困り感』があるようで、そのことが分かりました。
5年生の今は、本当に忙しくて目が回りそうです。一つ一つ決断を迫られ、判断を下して頑張っていかなければなりません。
でも、今までよりずっと心が楽です。
子どもたちがすごくそばにいることを感じられるからです。
本当に本当に辛かったけど、いろいろな先生方に支えられてやっとここまできました。…略。
寒い日が続きます。どうかご自愛ください。 Wより≫
(※原文通りではありません)
※
ぼくは、これを読んでよかったなと思った。
「子どもたちがすぐそばにいることを感じられる…」
何て素敵な言葉だろう!
今日の教師たちの生きる困難さの遥かその先に、ほのかに見え隠れする光のようなものをWさんはつかんだのだ。
しかし、あらためて一言付け加えておきたい。
今現在、うまくいかない日々を送っている方もいらっしゃるだろう。
それは、あなただけのせいではありません。
うまくいかなくても、ここまで子どもたちに寄り添い続けてきた「わたし」をほめてあげてください。彼らをずっと愛おしみ続けてきたのですから。
困難が山積しているクラスもあるし、3月のおわりまでジグザグをくりかえし、どんなに頑張っても教師を悩ませ、うまくいかないクラスもあります。
心と体が壊れそうなくらい辛い時は、ちゃんと休みをとったほうがいい。そのことを恥じることはありません。
子どもも教師も、お互いに傷つきあうことなく、仕切り直しをしていくことができるからです。
あなたを待つ子どもたちと、またちゃんと出会える日がきますから…。