B県で働く新採教師のKさんからひさしぶりにメールが入った。
昨年の4月から何度か、困ったときに連絡が来たが、今回はずいぶん変わった内容だった。
≪…。先生、最近ずっとクラスの子どもたちの夢を見ます。
修了式とかで子どもたちが泣いているんです。もちろん、私も…
夢は何かの現れだから、何か子どもたちが訴えているのかな。それに気づけない私はダメだな、とも感じるんですが…
最近、あと少しで子どもたちの担任じゃなくなるって考えることが多くて、とても悲しく寂しくなるんです。その気持ちの現れかなあ~とも…
子どもたちは、―先生として、いつか私のことを忘れてしまうのかなあ…とか考えたら悲しくてしかたがないんです。
子どもたちと過ごす一日一日を、今までよりも大切に過ごしたいなと思います≫
読んでいるうちに、何だか心がポカポカとあったかくなってきた。
それで、およそこんな返事を書いて送った。
≪ Kさんへ
これまでの人生のうちで初めてといえるくらい、心をこめて子どもたちとつきあってきたのでしょう。
ぼくも、1年目に教えた子どもたちとの日々は、今も忘れません。
「さみしいなあ…」と思う気持ちは、子どもたちを可愛く思い、夢中で愛してきたからだね。誰よりも…。
子どもたちは幸せです。あなたからの思いのこもった眼差しをもらって。
子どもと創る日々は、かけがえのない日々です。でも、刻々と子どもたちは明日に向かって成長を続ける存在です。
子どもはあなたとの別れを悲しんだり惜しんだりするけれど、やはり明日という日や未来をみつめて生きて行きます。だから彼らの旅立ちをいっぱい応援してあげてください。それは辛いことかもしれないけれど、教師であるわたしの手もとから、明日に向かって飛び立つことこそが本当の喜びなのです。
大丈夫、子どもたちには、あなたが心から愛してあげた見えないプレゼントをちゃんと心のすみに蓄えていますから。
5年後、10年後、20年後、辛いときや何かふとした出来事と出会ったとき、「ぼくは(私は)○年生時代、○○先生に大切にされたなあ。あの頃ってすごく幸せな時間だったんだ。よし、今から頑張るぞ。これくらいの困難なんてへっちゃらだ!
ところで先生はどうしているだろう。ひさしぶりに会いたいなあ」なんて、密かに思い出していたりしますよ。
あなたの大切なものがどこかに消えてしまったら悲しいとおもう気持ちはすごくよくわかります。
でもね、今日は1月24日。あなたが担任として子どもと共に生きる日々は、3月の春休みがくるまでまだたくさんたくさんあります。
全力を注ぐことが一番です。
授業、遊び、クラスの楽しい行事、親子でつくるお別れ会、それからそれから、やることはいっぱいあるね。
あなたが、子どもたちにしてあげたいことを何か一つでいい、新たな飛躍を創り出すつもりで挑戦するといいです。
この寒い1月や2月にね、ぼくはいつもみんなとSケン遊びをしていました。
それから、屋上に上ってドンジャンケンをしたり、鬼ごっこをしたり、青い空を見上げて遊んでいました。そう、長縄跳びもね。
森に散歩にでかけたのもこの時期。
それから、いろんな授業で、子どもたちと深く楽しい学びを創り出していました。この時期、子どもたちの学びはグングン深まります。
Kさん、教師として今できることをがんばろう。
子どもたちは、みんな今だからこそ飛躍できる挑戦をまっています。
その期待に全力で答えてあげましょう。3月の別れを前に、ぼくはそれが最高のプレゼントだと思いますよ≫