1年目の教師、Mさんの報告はとても面白かった。
池袋の区民センターで『学びのWA』の学習会があった。
午後の2時少し前、会議の始まる前にコンビニで会った霜村さんが言った。
「今日の集まりは少ないと思うよ。学校公開などで都合がつかない人たちがいっぱいなんだ」
「じゃあ、3人で学習会だね」とぼく。
しかし、学習会が始まると参加者は十数人になった。片岡先生や佐藤隆先生もいらしている。新しい仲間も何人か。都留からも二人。
驚いたのはTさんが生まれて2か月の赤ちゃんを連れて会場に現れたこと。
「わあ、Tさん…!」
一瞬会場がどよめく。
「天気がよかったからお散歩でやってきました」
びっくりしたことがもう一つ。
「滋賀のHです。東京で来年の4月から教師をします」と現われた青年のこと。
福井雅英さんに言われたそうだ。
「東京で教師になるなら『学びの会』に行くといい」と。
お話を聞いていると何と滋賀の教師Hさんの息子さんだった。
「わあ、滋賀は不思議なところだね。福井さんの息子さんも教師になって、君もまたHさんの息子さんで教師となる」
彼が言った。
「福井さん(息子さん)は、ぼくの家庭教師でした」
さて、Mさんのお話。新任で困難はやまほどあるのだけれど、彼女の素敵な姿が報告からにじみ出ていた。
二つのことをここには記しておこう。
(1)のびやかでおおらかな視点をもっていること。
・「先生のクラス、うるさいよね」と言われて彼女は思う。「確かにうるさいけど…そんなにうるさいのかしら?勿論、きちんと聞かねばならないときは静かにした方がいいけど子どもだったらこれくらいあたりまえじゃないかな」
それからもう一つ。「1学期のあいだ授業のことはほとんど覚えていません。指導書をみながらとにかく必死に授業をしていました」
そうだよね!と思う。これでよいのだ。一日数時間、すべての教科に指導案を作り、板書計画をたてて、水も漏らさぬような姿勢で授業を続けることなんかできない。こうしたよい意味でのしたたかさがあることが、新任教師が生きていくうえで大切なことだ。
(2)子どもと生きることを楽しみ、子どもの中に素敵な発見をしていること。そして子どもと一緒に新しい価値を創り出している。
・前期の終わりに学級みんなでクラスの詩をつくる。そんななかで最終行にMさんはこんな文章を入れる。「さいごにみんなに大きな( )」。
この( )にMさんは「大きな拍手」を入れてもらおうと思っていた。しかし、子どもたちがみんなで答える。「先生、『大きな花丸』でしょ」と。
その後がいい。クラス全員に登場してもらって黒板いっぱいに花丸を書いてもらいました。
これは算数の重さの授業でも生まれている。子どもたちから生まれる自由で創造的な発想を、見事に授業化しているのだ。
このお話を聞きたい方は、また1月の全体集会にきてください。
今日もまたいい会だったなと思った。