先日、『学びをつくる会』の定例学習会があったが、その日の打ち上げの席で、この3月、ついに現役を退いた霜村三二さんへのこれまでのご苦労を慰労する小さなお祝い(?)の会があった。

 プレゼントは乾杯と拍手と仲間からの言葉のみ。学びをつくる会らしい。

 その言葉がおもしろかった。

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 霜村さんの素敵な力や個性を、みんなで「不器用」とか「こだわり」とか評した。「一隅を照らすという言葉があるが霜村さんは四方を照らす人だよね」とか…。

 ところで、この『不器用』とか『こだわり』という言葉は、ぼくらの『学びをつくる会』では最高の褒め言葉ではないかとぼくは思っている。

 みんなここに集う仲間は、学びや子どもと教育に対し、自分の人生をかけてある意味で「こだわり」「不器用」に生きてきた。その『不器用さ』の中にゆるぎのない真実が隠れているのだけれど。これはすごいことだと思う。

 しかし、勿論みんな仲間に対し、しなやかで、ゆるやかで、ユーモアがあってやさしい。

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 川口淳一郎著『「はやぶさ」式子育て法』を、書店でみつけてふと手に取り読んだのは4月の初めの頃だったか。彼特有の思考と視点で子育てや教育について触れているのだが、これはぼくとは違うかな…と思うところと、笑いながら共感するところとがあった。

 なかでも「学びのプロ」を育てない…なんてすごく面白い。万遍なくテストに強い人間を育てることを否定している。「変人」を育てよ…と。

 社会に出てからの仕事は、これまでにない事態に対する新たな思考と取り組みなのだと。

 それで一番ぼくが笑ってしまったところは、「エクセル男子」とか「ワード女子」「パワポ部長」などを目指してはいけない…という指摘。フォーマットの中の仕事ではだめですよ…と。

 「美しいパワポ書類の企画書」をみんな書こうとするが、「つまらない企画書ほど、見栄えは立派です」「アメリカで『ミスター・パワーポイント』と言ったら仕事のできない人、中味のない人の代名詞です」という件。

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 もうそういう研究会はないと思うけれど、ひところ学校の研究発表というと、発表会数か月前から、研究の流れとか取り組み方とか、そういうことに力を注ぐことが多くて辟易して、ぼくは言った。

 「研究指定校は受けてもいい。でも分厚い研究収録を作ったり当日の発表のために形式を整えたり、幾日か前から事前準備をすることは止めようよ」と。

 H校長は賛成してくれて、当日の授業をもっとも大切にしてくれた。配る文書はとても簡単なものにして…。

 そんなことを今日は思い出していた。