4年生の学生たちに話した。
「夏に迫った、教職の採用試験等で焦りを感じたり、やるべきことが多くて不安な日々を送り始めている人もいるでしょう。だが、学生として最後の年を大切な学びを続ける中ですごしてほしいと思う。そのことを忘れないでください」
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試験対策に自分の生活の中心をおいて、すべてを費やすことは、人生の中でいただいたかけがえのない時間を、自分というものを豊かにしたり子どもや教育の本質を追及したり、深く人間や世界を考える力を自己に養うこととは違っている。
試験対策は、できあいの知識をとりあえず身に着けて一つのハードルを越えようとするわけだが、それはそれだけのこと。
いま学ぶことの力量を、深く考えることの力を、問い続け、未知のものを明らかにしたり創造することへの深い興味や好奇心を持ち続けてほしい。
採用されなければ、その後の自分らしい教育実践とか教師の夢は実現できないわけだけれど、目の前の対策だけに始終していると、採用されてからも、次から次へと要請される教育という名の型や枠組みに取り込まれてしまう。
いつもできあいのマニュアルを追い求め、対策に終始してしまう。
ぼくは、いま教師を目指すみんなに、この時代を突き抜けるような新たな教育実践を展開するしたたかな芽を隠されたエネルギーを蓄積しておいてほしいと思う。
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しかし、採用枠の少なさなどを考えると、確かに気持ちはわかる。
だから、最低2対8くらいの割合で、できれば5対5くらいの割合で、こだわりのある子どもや教育にかかわる問題を、あるいは社会的な問題を、追求し続けたり考え続けたりしてほしい。手ごたえのある書物を片時も離さない学びを続けてほしい。
そんな思いを持っている…と。
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すると幾人かが話してくれた。
「先生、ちゃんと別の本を読んだり、学びを続けています」
「絵本なども読んだりして感動しています」
「ゼミで考えたことなど、それも忘れないでコツコツとまとめていきたいし、これからもしていきます」
こうしたぶれない視点を持っていてくれるとうれしい。
この深い納得のうえに、おおいに試験勉強をすればいい。
しかし、あらためてまた繰り返すけれど、そこには君の本質は現れないということ、ぼくの本質は、わたしの本質は、もっと別のところにあってそれは磨かなければ、発見できなかったり、表れてきたりしないということ…。