買い物を頼まれて午後の日が落ちた時間に家を出た。

マンションの前に背の高い門松が立てられていた。

                       ※

ぼくの家の置物や飾り物は、ほんの数日前までは、リースとかサンタの人形とかその他もろもろ、クリスマスを意識してものが並んでいたが、今はすっかりお正月モード…。

小さな羽子板や松竹梅の飾り物が、玄関や居間にいくつも置かれている。

この羽子板の置物は京都で気に入って購入したもの。

昔、浅草の羽子板市で、少し大きなものを買ってきたこともあるけれど、最近は行かない。あの賑わいは今も続いているだろうな。

                       ※

本やさんにぶらりと寄って文庫本を1冊、デパートの食品売り場でまるごとの白菜を1把買った。

                       ※

帰宅してメールを開く。地方公務災害基金静岡支部が本部の意向を受けて、木村百合子さんの裁判結果に対し控訴したことが伝えられていた。


控訴を決定した人々ってどんな人たちなんだろうなと思った。木村さんの人間としての誇りや悲しみと痛み、苦しい心のうちに、思いをはせたことがあるのだろうか。

心を痛めることもなく極めて事務的に控訴を決定したのだろうか。

そのときの伝えられる会話を考えてしまう。

  どんな声で、どんな言い方で、どんな口調で、言葉が交わされたのか。

控訴を決定し、何らかの指示を伝え、心安らかに家族の待つ家路を急いだのだろうか。

 静岡地裁では、開かぬと思っていた重い扉を、心ある人々の声が集まって開けた。この力は大きい。人を物のように支配し扱うことよしとする社会に対し、それを覆そうとする力の台頭に恐れるものがあったのだと思う。それが控訴となったのだろう。そう考えるなら、一歩後退したようにも見えるが、総体としての力は前進しているように感じる。

 木村さんのご両親にとって納得のできない、そして心の晴れない辛い控訴だけれど…。