神楽坂へ

 夕刻、九段下で乗り換えて東西線に乗り神楽坂へ行く。雑誌『教育』の編集会議。地下鉄神楽坂駅で降りると、お店の並ぶ坂道を散策したくなる。誘惑を振り払って赤木神社の方に曲がり、こちらは住宅街の細い急な坂道を下る。ここもまた山の手と言われる台地と低地との境目なのだろうか。段差は数十メートルある。

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 ぼくは4月号から始まる『若い教師の広場』(仮称)の企画案をもっていった。これは楽しみな仕事。なぜなら全国の若い教師たちの声を紙面に反映できるから…。

 ところが別の企画もまた担当していたのだけれど、論議をしていく中でいつのまにか重い役割を与えられてしまった。

「まいったなあ」と思わずつぶやく。

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 9時半、事務所を出る。夜空に明るい星が一つ。

「あれは木星だろうね!」とMさん。

「金星の見える角度って数学的に説明すると面白いんですよ」とAさん。

 話題は星の話になって、次に地学の話になった…。そんな話を聞きながら、ぼくは高校時代の学びを思い出した。

「AさんやMさんに高校時代教わっていたら学習が楽しかったでしょうね。ワクワクドキドキするような学びを高校でしたかった。地球、この自然、数学で解き明かす世界、そうしたことの本物の面白さを伝えてくれるような学びをね。ぼくの高校時代は、ひたすら、何かを覚えなければならないような勉強だったからなあ…」

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 高谷清著、『重い障害を生きるということ』(岩波新書)を読む。

わかりやすく、やさしい口調で書かれているが、内容は深く重い。人間の存在の意味が問われる。生きるということの意味もまた。