授業への視点

 いつのころからか授業についてのぼくは、自分なりの視点を持つようになった。

 前回は、『学びの質の高まり(発展)を問う』ことについて記した。

今回は1時間の授業を『子どもの学びへの集中』という視点でみる見方を記しておきたい。

               ※

 縦軸と横軸で形成される1時間の授業。縦軸は教室の子どもの集中力(問題への好奇心とか心のときめきや問いの深まりなど)。横軸は1時間(45分)の流れ。

 そうしてみると、教室の子どもたちの全体像が見えてくる。チャイムがなる。遊びの世界から帰ってくる子どもたち。悲しみや、憤りや遊びの喜びの余韻を引きずる子どもたちがいる一方、学びに対する心の準備のできている子たちもいる。日直や教師の声かけによって読みかけの本をしぶしぶ机にしまう子もいるだろう。授業はそこからスタートする。

 すると、縦軸の子どもたちの学びの集中力は、まだおよそ半分もいっていないかもしれない。そうした子どもたちをグイと学びの世界に引き込んで行く問いや驚きなどを含めた教師の工夫が必要だろ

う。

               ※

 多くの子どもたちが『学びの扉』をあけて仲間や教師と共に『学びの世界』をゆるゆると散歩したり歩き始めたりすれば、第一段階の学びは成立する。しかし、次が問題となる。そこから新たなステップを踏むための優れた『問い』が用意されているか。あるいは、そうした世界へ一歩を踏み出す子どもたちと教師で作る課題が的確であるか。展開され始めた授業がさらに高みに到達する質を持っているということ。

「えっ、それはどういうことなんだ。面白そうだな。よし、もっと考えてみたい」と発展する必要がある。

 この第二段階で、多くの子どもたちの瞳が曇ることが多い。一部の子どもたちが教師の問いにくいついてくるが、置き去りにされ学びの関心を失う子たちもよく見かける。教師の良かれと思う問いが子どもたちの瞳の輝きを消してしまうことがある。

 ざわざわと教室が揺れて、手遊びをする子やちょっと関係のないおしゃべりをする子たちが現れる。

 しかし、またそうした流れの中でも新たな問題関心が子どもたちの心を捉えるとき教室全体の空気が変わる。みていて驚くほどだ。

               ※

 できることなら1時間の授業の終わりを、教室の子どもたち全体の学びに対する強い関心と集中力の高まりをもって迎えられたら素敵だ。

               ※

 退職前の6・7年間、毎年、新任の教師と出会いお互いの授業を見せ合い考えあってきた。ときどき、授業が素敵だなと思ったとき、この縦軸と横軸の1時間の授業の流れを位置づけて話した。

「君のこの発言が、この問いが、この課題設定が、授業を活性化し、子どもたち全体の集中を生んだよ。でも、この発問は子どもたちを散漫にしてしまったね」

 そんな会話を交し合った。