網走湖

 『オホーツク合研』は、午後の分科会や夜の交流会にも出て2泊3日となった。全力で子どもや教育と向かい合う人たちがここにもいる。その勇気を頂いた。

 翌日の日曜日は雨。羽田行きの飛行機は午後の1時45分。Kさんが迎えに来てくれた。

「晴れていれば美幌峠まで行って景色を見ていただけるとよかったのですが。それは美しい風景ですよ。しかし、あいにくの雨で…」

 飛行機までの時間、網走湖まで車を走らせて網走刑務所跡の建物の一部を移築した公園に案内してくれた。

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 北見から網走まで約50キロの道のりを車が走る。道路の両側の木々はすっかり色づいていた。後で知ることになるのだが、この道は網走の囚人たちが明治初期、多くの命を失いながら開墾した道路だという。過酷な労働であったらしい。

 左手に静かな湖が見えてきた。

「これは網走湖ですか」

「そうですね。海とつながっています。昔はボート競技の練習場となっていましたが、いまは廃れてしまいたね…」

 公園の駐車場にはたくさんの車が止まっていた。訪れる人の多さにKさんは驚いていた。

 ぼくは当時の建物をそのまま残した木造の刑務所内を歩いた。うすい布団が敷かれている。これは寒い。寒さに耐えることなどできないだろう。凍え死ぬこともあったのではないか。観光用に解錠された小さな部屋に足を踏み入れたけれど、ざわざわと皮膚が波立つような気がした。

 女満別の空港まで送っていただいて羽田へと飛ぶ。