男の子の物語

 一泊二日の里帰りで一冊の本を読んだ。三羽省吾の『タチコギ』(幻冬舎文庫)である。文庫本の表紙には夕暮れに立つ少年たちの姿が描かれている。作者は1968年、岡山県生まれ。ぼくは、この作者の本を初めて読んだ。面白かった。

 物語は大人になった柿崎信郎の帰省場面から始まる。40歳になった信郎には10歳の息子、智郎がいる。祖母の死の知らせを受けて通夜と葬式に帰る。鉱山の町を離れてから30年ぶりのこと。揺れる汽車の席で智郎はゲーム機に顔をうずめたままだ。

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 物語は、信郎の生きる現在(いま)と、―そこには父との幼い日々からの葛藤や息子・智郎の不登校(いじめも加わって)の問題があるのだが…、遥か昔の少年期の自分の忘れられないような物語が交錯する。

 いま、10歳の智郎の抱える問題と正面から向かい合おうとしない信郎だが、彼の少年期の生き方はそうした自分とは違った、大人や教師、社会に対する鋭い視点を持っていた。

作者は、鉱山の町にある経営者やそれに組する背広組と炭鉱夫の住宅や文化の違いが教室にも見え隠れする姿も視野に入れながら、少年期を生きる子どもたちの冒険や危うさ、大人社会のありように目覚めていく少年たちの姿を描いていく。傷ついたり悪さをしたりして、汚れを抱えながら大人たちの影の部分にも触れて育つ少年たちの姿が、本物の世界のように心に迫ってくる。

信郎の視点は、自己の少年期を思い出しながら、息子・智郎が今、何に傷つきどう生きぬいていくかを問うているのだが、それは読者であるわたしたちに問いかけているようにも思われる。