石垣さんの学級通信

 教科研大会の最終日、滋賀の石垣さんから学級通信をいただいた。7月20日で第62号。ほぼ毎日発刊のペースかな。凄いな。

題名は『きっとだいじょうぶ』。5年生のクラスの子どもたちの作文が数多く取り上げられている。読んでいると子どもたちは石垣さんに支えられながら、いつの間にか書くことが好きになっている。クラス全員をできるだけ登場させようとする石垣さんの姿勢が伝わってくる。

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ときどき、この作文や日常の教育活動をめぐって、石垣さんのつぶやきがもれる。『あのおかた』というキャラクターが登場してきて、石垣さんを批評したり、二人で会話をはじめたりする。無理をせず、押し付けず、自分の考えを様々な側面から見つめていこうとする、面白い取り組みだ。

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キャラクターと言えば、ぼくの授業にはときどき『あくまくん』が登場して失敗をやらかす。最後の年にはリボンをつけた妹の『あくまちゃん』も登場した。子どもたちは大喜び。

ぼくの授業を見学してくれたKさんは『コマちゃん』というキャラクターを登場させて、楽しく算数を進めている。若い仲間のTさんも『あくまくん』を登場させてくれているという。うれしい。『あくま君』が宇宙のかなたに帰っていってしまったのではなく、Tさんの教室に舞い込んでいったみたい。

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学級通信に特別なスタイルはない。自然体で個性が滲み出すのがいい。教師の思い主体のものと、子どもの作品などが主体のものといろいろな形式があるがこれが絶対というものはない。子どもたちが自分たちのクラスの物語を楽しみ、誇りを持てるのがいい。また、学習が豊かな展開にむかっていくのがいい。教室の記録であると同時に学びの記録であり、子どもとわたしの生活や学びを励まし、明日へつなげるものでもある。未来を切り拓く力にもなる。

そして教室で作り出した大切な文化を、日常のテレビや漫画やゲーム機器に負けないかけがえのない文化として、また教育とは何かを、保護者たちに伝えるものになっていく。

教師にとってその記録を書くことは、人間的な感覚を失わずいられる自分を支え、もっとも大切なものに心を触れさせておく力にもなる。何気ない子どもの生活や表現のなかに、子どもの価値や愛おしさがみえないとき、自分の教師としての眼差しが曇っているときなのかもしれない。ぼくはそんなふうに思ってきた。