幼き日のこと

 朝から少しなつかしい思い出に浸りながら、頼まれた雑誌の原稿にむかっていた。テーマは『わが幼き日』―。

 少年時代のことは、これまで幾編かの詩に書きとめてきたが、今度はそれよりもっと幼い日の出来事を思い出して書かねばならない。

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 思い出は2歳か3歳頃までさかのぼる。しかし心の中に浮かぶ風景は、限られたいくつかのぼんやりとした場面だけ。それでも、こうして振り返ると、忘れていた幼き日が色づけられた白黒写真のように立ち上がってくる。

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 原稿とは別に、この日、ふと思い出したことをいくつか。

 背戸に向かう板の間。夏の朝だった。母の膝の上でのりもの絵本を一緒に見ている。近くには足踏みミシンがあって。

 曇り空に尾翼がくっついたような飛行機が飛んでいく。ぼくは、驚いて祖母にそれを指差して教える。兄が飛び出してくる。ぼくの着ているのは昔の子ども用の着物。

 内縁が西の端についていて家をぐるりと一周できた。箪笥が置かれている。背伸びしても上の引き出しに届かない。秘密の宝物が隠されているみたいだ。幼き日の思い出は、身の回りの世界はとてつもなく大きくて不思議に満ちていて、時間は限りなく長くまるで泊まっているようだった。