後悔と励まし

 現役の教師時代、子どもたちの好奇心や心をひきつけるような授業ができなくて、子どもたちの瞳がどんよりと曇るとき、彼らをまっすぐに見ることができず、不甲斐ない自分を呪い、遠い窓の外の空を眺めるしかなかった。その場を立ち去りたくなった。子どもたちに「すまない」と思った。それでもみんな、授業の良し悪しを忘れたかのように、ぼくに声をかけてくれた。

「先生、遊ぼう」

「Sケンに来てね。待ってる。絶対だよ」

 子どもたちの励ましを聞いて、ぼくは落ち込んでいる気持ちを奮い立たせて決意する。

「よし。次の時間、子どもたちと豊かな学びのときをつくる!」

 遊ぶことが心のリセットになった。ずいぶん、子どもたちに支えられ助けられた教師だったと思う。

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 臨床教育学の前期の授業が終わりに近づいてきた。前回の授業、自分の語る言葉が、全員の心に届いていない気がして、何かすまないような気がした。子どもたちの好奇心や心を深く捉えられなかった授業のありようと似ている。

 それでも、終わった後の感想カードにみんな真摯に立ち向かい様々な言葉を重ねてくれた。「ありがとう」心から感謝したい。

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『ついに、もう臨床教育学がおわりになってきました。先生のお話は、深くあたたかいものでした。前期だけだなんてもったいないです。教育原理と同じように必修にして、都留文科大学出身の先生はみんな山崎先生の授業を受けたほうがよいと思います。(それはいいすぎだね)

 先生になりたいと小学生の頃からずっと思ってきたけれど、どんな先生になりたいかと聞かれたら困ってしまうくらい、理想像はあやふやでした。でも、この大学に入って山崎先生に出会うことができてよかったです。私は山崎先生みたいな愛のあふれる教師になりたいと思うようになりました。教師になったら大変なことも辛いことも多いと思いますが、子どもたちへの愛だけは忘れないようにしたいです。…略』これはMさんの感想。

『臨床教育学の授業をずっと受けてきて本当に人として成長できたように感じます。私は今年から教育実践学専攻に所属しています。臨床教育学から教育実践が成り立っているのかなと、通ずるものがあると思いました。山崎先生の話を聞く中で「教師になりたい」という夢が揺らいだときもありました。私に、山崎先生みたいにできるかなと何度も思いました。しかし、先生も同じように不安の中で考えながら教師をしていたんだと思うと私も頑張って「教師になりたい」と強く思うようになりました。

 今の子どもたちついて学校について学ぶことができ、山崎先生の授業を受けることができてよかったです。毎回の感想にもいつもコメントを書いてくださって大学に入って初めてだったので驚いたのと同時に、小学校に戻ったみたいでとても嬉しかったです。ありがとうございました! …略…』Hさん。

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 私を励ましてくれるようなMさんやHさんの感想を、恥ずかしげもなく載せさせていただいたが、彼らの学びの要求と深い願いに本当に応えていくためには、自己を研ぎ澄まし研究し、鍛えていかなければならないなと強く思った。遅々として進まないけれど、コツコツと前を向いて歩いていくしかない。