Mさんの子ども発見物語

 ゼミの時間、3年生のMさんの目に涙があふれた。聞いているぼくもみんなも思わず涙がこみ上げる。

 それは、こんな話だった。

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 ある小学校でMさんは放課後の学習支援をしている。毎回、子どもたちとの活動がうまくいかず悩んでいた。自習をさせようとするのにおしゃべりばかり。席を立つ。他のクラスの子たちが入り込む。注意をすると、ボソボソとMさんにとって辛い言葉をつぶやく。

 中でも特にAちゃんの言葉はMさんの心を深く傷つける。

「M、宿題教えろ!」「ばかじゃん」

「週に一回会うくらいで仲良くなるわけないじゃん」

「前の先生の方がよかった」

 こんな言葉が続くのだ。

「今日は、行きたくない…」

 そんな思いを持ってしまった日もある。

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 一学期最後の活動の日が来た。

「今日の学習が終わりになるまで、『もうこれで最後だよ』という言葉は言わないでおこう」

 この日もグループのメンバーたちやAちゃんの言い方は変わらない。

「悲しいな」と思う。

 いよいよ校庭にならんで帰るときMさんは言った。

「これで私が来るのは終わりだよ」

 そのときだ。Aちゃんは黙って下を向き、足の裏で地面を幾度もなでた。Mさんは驚いてAちゃんを見る。顔に涙がいっぱいあふれている。Aちゃんは、とうとう泣きながら校庭にうずくまってしまった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。きょうが最後なんて思わなかったの…」

 Mさんは、彼女を胸に抱きしめる。Aちゃんは泣きながら謝りつぶやく。

「校門まで送って…」

 校門で見送るとAちゃんはいつまでもいつまでも手を振り続けたという。

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 Mさんの対話ノートには、この日の出来事が詩のように書いてあった。その最後は次のような文章が書かれている。

「愛おしさ心がふるえました/子どもの不器用さ、かわいらしさを実感しました」と。

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 そうだよね。かっこよく、すぐ悪態をつく子どもたちと心がつながるわけじゃない。一学期間「なぜだろう」「どうしたらよいのだろう」「前の先生の方がよかった…なんて言われて」。

悲しみや困難を抱えた子どもと生きるということは、厳しい試練にさらされることを覚悟しなくてはならない。これでもか…という悔しさや痛みの日々を越えて、初めて彼や彼女のなかに、この人のことを信じてもいいとそんな気持ちが起きてくる。

その日がいつくるのかわからない。けれど、幼い子どもたちが人生の中で選択した生き方を変えるには、寄り添う者の本当の力がためされるのだ。Mさんは、その大切な『子ども理解』の一ページをAちゃんからプレゼントされた。