学びの空間と子どもたち

 学びの持つ空間が、今を生きる子どもたちにとって、深い納得や快さを刻む時間となること―。そのことの大切さを臨床教育学の授業で語った。

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 我慢と緊張と怯えを背負うような授業であってはならない。子どもは“真に自由であるとき”、これまでの自己の世界を乗り越えて、内部に持つ力を精一杯発揮しながら、豊かに生き生きと個性的に学ぶ。他者の声を聴き取りながら、自己の学びの世界を新たに立ち上げ、物語を刻んでいく。この場に出会えると、私は楽しくて、子どもと生きることの幸福を感じる。

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 この日は、絵本と漢字と算数と社会科を扱おうと思ったけれど、絵本を読み、実際に小学校の子どもを相手にするように授業を進めていたら、いつのまにか時間が過ぎていた。

 なつかしい『たんぽぽ』(川崎洋・作)の詩をひさしぶりに取り上げて実際に授業化してみた。

 学生たちが、箱の中のタンポポを見事に推理した。5月の終わりごろ採っておいたタンポポの綿毛。ピンセットを用意してないからこの日は一人ひとりにタンポポの綿毛をわたさなかったけれど。

 自由に語りだす学生たちの声も素敵だった。それから、言った。

「いいかい。ちょっと協力してね。この発言をした人たちみんな立ってください。みんなで声を出し、この詩を朗読(群読)しようと思うんだ」

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 どんなふうに読みあったか、ちょっと紹介しておきます。

(記号のA~Iは学生たち一人ひとり)

私  たんぽぽ 川崎洋(ここは教室のみんなで読むのがいいね)

私  たんぽぽが

私  たくさん飛んでいく

私  ひとつひとつ

A みんな たねがあるんだ(これは、発言した学生)

B みんな 夢があるんだ

C みんな 希望があるんだ

D みんな 命があるんだ

E みんな 仕事があるんだ (以下略)楽しい言葉が続く。

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F おーい たぽんぽ

G おーい ぽぽんた

H おーい ぽんたぽ

I おーい ぽたぽん

全 川に落ちるな

 読み終わってみんなにっこり。そして、拍手。F君はとても重要な役割。それで、言った。

「F君、野原で叫ぶように声を出して」

「おーい たぽんぽ」

「まだまだ。お腹の底から勇気を出して。さあ、思い切り遠くまで飛んでいくたんぽぽの綿毛に声をかけよう」

(※ぼくが、実際授業をするときは、声が本物になるように、廊下や階段の下、校庭の向こうにまで行ってもらって、教室に向かって声をだしてもらう。子どもたちは耳を澄まして待つ。

「聞こえた!わあ、すごーい」子どもたちは大喜びだ。こうして心を解放していく)

「おーい たぽんぽ!」

「そう、F君。いいなあ」

 F君の声に勇気づけられて、みんな100人の席の中に立ち見事に演じる。楽しい。

※ 教室で、この詩を授業化するとき、『なぜ小学生が“荒れる”のか』(今泉さんとぼくの共著)の本か、後藤竜二氏がぼくの授業を『12歳たちの伝説Ⅰ』の『たんぽぽ』の章に取り上げてくれている。そちらの方が少し流し方が違うけれどより具体的かもしれない。

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 さらに、もっと劇化を楽しむなら、教室の中央に小さく円を作って、たんぽぽたちが丸く小さく座る。そこから、教室のみんなで最初の部分を群読する。その瞬間、綿毛たちが教室のあちこちに飛んでいく。それを少年たちの一人ひとりが椅子や机の上、ロッカーの上などに乗って呼びかけるのだ。

 どなたか、こんな授業に挑戦してみてくれたらいいな。