麦わら帽子が好きなのかな

 シンポジウムの発言原稿を先週に引き続きまとめようとしたが、なかなか字数内に書ききれない。書いて消して、また書いて、修正する。明日にはもうよしとしよう。

 仕事はそのままにして、4時過ぎ国立新美術館に行った。『ワシントン・ナショナル・ギャラリー』の展覧会へ。表参道で千代田線に乗り換えて乃木坂下車。ぼくは、初めてここに来た。

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 チケットには、こんな言葉が書かれている。

―『印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション』

 案内を見ていて「見たいな」と思ってきたが、来てよかった。

 ぼくは、絵のよさが本当にはわからない。でも「あっ、いいな」とか「この絵好きだな」そうした感覚は持てる。その感覚を頼りに自分に正直に見ていく。絵の内容を説明されるとなるほどと感心するけれど、今日も説明器具はつけない。

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 好きな絵がたくさんあった。展覧会場をでて絵葉書売り場で、気に入った絵のポストカードを何枚か買った。しかし、少しがっかりして思わずつぶやいた。

「これ何かおかしいなあ、絵葉書になってしまうと本物の絵の感じが伝わってこないよ」

 セザンヌの水の風景など特にそうだった。ところで今回好きな絵をみて驚いた。麦わら帽子という題の絵がいくつかあって、それが全部気に入っていたのだ。

 『麦わら帽子をかぶる農家の少女』(カミーユ・ピサロ)『麦わら帽子をかぶる若い女性』(ベルト・モリゾ)『麦わら帽子の子ども』(メアリー・カサット)…。あれれ、全部1880年代の絵だ。セザンヌの『赤いチョッキの少年』や『りんごと桃のある静物』もよかったな。クロード・モネの『日傘の女性、モネ夫人と息子』の絵は日の輝きの中に、まるで生きているように、動き出すように、のびやかな風と歌とが聞こえてくる。絵の方から語りかけてくる。