子どもの泣き声

 ドキリとする新聞の投書欄を目にした。声を押し殺して泣く子のことだ。

見れば1歳半くらいの赤ちゃんだったという。ベビーカーに乗った子が店の品物に触れた瞬間、母親がビシリと頬を平手打ちしたという。若い母親だったらしい。赤ちゃんは、声を殺して泣いた。エプロンのようなもので顔を押し隠し、声を殺して泣いたという。

母の思い。しつけ…、他者への配慮…。それとも、この子の泣き声が許せないのか。泣き声を抑えることが「よい子」を育てる道と思っているのか。まさか…!

切なく悲しい記事だ。泣くことを拒絶された子はいつしか感情を失ってしまうだろう。幼子は泣く。まるで母親に父親にあてつけるように泣く…、そんな日もある。真夜中に、訳もなく火のついたように泣くこともある。父も母もおろおろと耐えることしかできない夜はあるのだ。子どもはそうして、幾度も親を戸惑わせながら、それでも愛されていることを知り、生きるということへの安心を得る。それは愛してくれる者への信頼と、自分が生きることへの肯定と、人生に対する好奇心や冒険の旅立ちの土台となる。

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臨床教育学の授業の始めにこの記事を紹介した。そして、現代におきる虐待事件について。それから、子育て家族の困難にどう寄り添うかを考えていった。

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「あなたは、今夢中で大切な仕事をしていました。(あるいは、好きなテレビ番組やゲームに夢中になっていました)。わが子がぐずりだし泣き出しました。今していることを辞めて、子育てに向かうことができますか」

 こんな問題を交流してみた。それから、専業主婦の方が兼業主婦よりも子育てのストレスを持ちやすいということも。全ての人たちがそうというわけではないが…。

 以下に、学生たちの感想文を二つ。

『今日の授業は、いろいろ考えさせられることがギッシリ詰まっていて、正直、今、頭の中で整理ができていません…。まず、虐待の記事には本当に胸が痛くなりました。こんなに悲しくなり、許せないと感じたのは初めてです。スーパーで1歳半ぐらいの子をビンタして泣き止まらせていた母親。その時の光景を想像したら、子どもがかわいそうで、その母親がにくくなりました。もしも私がその現場にいたら思わずその母親い「ちょっと!!」と怒ってしまいそう。それくらいの衝撃でした…。

 でも、今日の親の立場を視点とした問題に触れていき、もう一度「許せない!」「最低だ!」という気持ちを見つめ直しました。親たちの子育ての現実で、多くの問題を抱えながら、迷い、不安を抱えながらも“いい親”になるために頑張っていることを知り、一概に責められないと思いました。…略…』Hさん。

『今日の授業の初めの部分で出てきた子どもが声を出さずに泣くというのは、ものすごくかわいそうになりました。声を出すとまた怒られる。…。たしかに声を出すと周りの人とかに迷惑になるかもしれない。しかし、泣くというのは子どもの表現であるから、それを表に出させないようにするのは感情を持たない子どもを作っているのと同じだと思った』F君。