緑の美しい季節に

 電車は山の間を抜けるように走る。ゴトゴト、コトコト、ゴトゴト。線路脇の黄色い菜の花がゆっくりと走り去る。開花の時期はもう過ぎたのだろう、花の下にはふくらんだ細いさやの実がいっぱい。黒い小さな種を飛ばす日も近い。

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 駅を降りると雨。山々は、数え切れない緑の衣装をつけて、今日の雨にまた勢いを増している。楽山もすっかり森になった。構内の樹木も鮮やかに緑を繁らせる。

 5限の授業で言った。

「楽山を見ましたか。ぼくは大学に来る道で見た。裸の木々は隠れてもうすっかり森の風景だ。友だちと登るといい。あの森の下で紫陽花が大きな葉を広げ始めているでしょう」

 そんな話をしながら、この日のテーマ『子どもと時間』について語り始めた。『繰り返す“波”のような時間の流れ』と『走り来て過ぎ去るような時間の流れ』について。

 子どもたちには『自己をゆっくりと“満たし”その子の内部で“新たな力”が生まれるのを待つ時間』が必要ではないかと。

 促成栽培のように、速さと能力が競わされ、いつも先取りする人生を歩み続けるのか…。それは、明日を生きるという名目で、今という時間とその充実を失うことにならないか。来る日も来る日も「明日のために生きる」ことの“危うさ”“脆さ”“形骸化(空洞化)”自己の人生に対する“焦り”や“苛立ち”の連鎖と人間的な生活の放棄について。

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 講義を終えると6時。研究室には何人かのゼミ生たちが静かに自習している。ときどき、クスクスッと笑う声。「ねえ、ここ教えて」なんて言いながら…。七時半まで感想文を読み、先に部屋を出る。雨は本降りだ。水溜りに写る街燈の灯が、足元でちりぢりになってはねるように光っている。