学びをつくる会

 静岡の中学校教師、笠井さんを迎えて『学びをつくる会』4月の学習会が池袋であった。

 会場は40名を越える人たち。中村さんや霜村さんは椅子がなくて床に座っていらっしゃる。参加者の半分くらいは学生さん。

 ぼくのゼミ生のSさん、Iさん、Yさんをはじめ都留や埼玉の学生さんたちがたくさん参加している。遠いところをよく来てくれたなあと思う。

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 笠井さんは、様々な葛藤を抱える中学生たちの生きる様子を知って、『彼らの心の行き先』を変えようと道徳の授業に取り組む。教室での取り組みを進めていると、学年の仲間の先生たちから「是非、学年でやってよ」と頼まれる。共感と共同が生まれるところがすごい。授業には校長や学年の先生たちの語りも入っていく。

 中学生たちは、そんな教師の様子を見て、知って、聞いて、学びを『わたし』が生きることとつなげていく。大人への旅立ちの大切な時期を、孤立無援のように切り捨てられたり、あるいは、敵対的な感情で周囲を見ることを強いられたりしている中学生に、―それは大人たちも同じなのだが…、人間の持つ本来的な感情を引き出し、つなげ、彼らの心を捉えていく。その取り組みがいい。中学生たちの世の中や学校に対する、あるいは自分に対する『あきらめ』の気持ちに対し、わたしという人間を肯定する思いが生まれていったように思う。

 取り上げたテーマは『生きる』『夢』『自立』『挑戦』。具体的に中学生の心を揺り動かす事実を取り上げ、子どもたちの心をひきつけながら学びを創造する。

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 笠井さんのお話の後、東北関東大震災や原発災害と向かい合う子どもたちや学校の様子を交流した。その論議の中で、被災地の子どもたちだけでなく日本中の子どもたちが今回の震災や原発問題と向かい合っていること、辛い体験や思いを心に影のように抱えていることを知るべきだし、全国の学校でそのことは丁寧に取り上げられなければならない問題だろうという指摘があった。まったくその通りだと思う。

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 私自身は、不十分だけれど、臨床教育学の最初の授業でこの問題を取り上げ語り合った。学生たちは感想に書いてきた。「一人で考えていました。自分に何ができるのだろうと。でも今日の授業を通して、はじめてこの問題をみんなの中で語り合えて、よかったです」と答えている。

 それぞれが、多様な思いを抱えているのだ。無理をすることはないけれど、隠されたり閉じ込めたり、内部に抱えている問題を、少しずつ誰かに語りかけ、仲間と語り合い、やり場のない思いの整理を、丁寧にささえていってあげる必要があるのではないか。強引さは勿論許されない。しかし、子どもを前にして、大人たちが、教師たちが、真剣に必死に、問い、悩み、生きる姿を見せていくべきだろう。同時に、子どもの持つ好奇心や遊びや危機をも乗り越えるような、子どもらしい豊かなエネルギーをも引き出してあげながら…。