指導案をはみ出す面白さ

 「あのね、ちょっとここだけの話だよ」

 大学の授業で、少し躊躇いつつ、『ええい!話しちゃえ』と思って、横道にそれてぼくは話し出した。

「みんな、授業の『指導案づくり』を大学で学んでいるよね。たまに模擬授業なんかもするでしょ。これは授業展開のイメージを作る上でとても大切な作業。ぼくもこれに数時間をかけるときがある。でもね、精一杯作った後、本当に子どもたちの前に立ったときは、それだけにこだわっちゃだめなんだ」

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 みんな驚いた顔をして聞いている。

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「指導案通りに進まないと『君の授業はだめだ!』なんて言う人がいる。すると、落ち込むよね。ところが、本当に子どもをひきつける授業は、そんなんじゃないんだよ。

子どもはね、先生の思惑とか枠組みには入らない発想をするんだ。だから導入・展開・まとめなんて絵に描いたように進まないの。それを無理やり指導案どおりに進めると授業が教師サイドの強引な押し付けになる。そんなときは子どもの瞳が輝かないね。

 子どもがね、授業のなかで寄り道したりしたら、それを楽しんでごらん。耳を傾けるんだ。面白いよ。寄り道しながら、それを豊かな学びにつなげるの。学びが深くなるんだ。そして、その方がずっと面白い授業展開になる。

 (勿論、学びを深くする『問い』は必要だ)

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 ぼくはね、子どもたちの寄り道、迷い道、散歩道、失敗…そんなものを大切にするね。学びの中で子どもが自由に飛翔するの。すると思わぬ展開になる。学びをずっと深くなる。教師の気づかなかったことを発見する授業にもなるね。第一そのほうが、子どもたちが夢中になるもの!

 だけど、最後はちゃあんと大切な部分に戻っていって着地するの。少しでもいいから子どもと『寄り道・散歩道を楽しむ授業』をしてごらん。君たちはぼくなんかよりずっと、今の感覚で豊かな発想があるはずだ。子どもたちの凄さを感じて学びを作り出してほしいね

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 この授業の後の感想アンケートが面白かった。

「自分の考えていた通りに子どもの反応がこなかったり、授業が進んでいかなかったら、今の私はきっとパニックになってしまうと思います。枠組みにはまりすぎず、寄り道を子どもたちと一緒に楽しめる教師になりたいな…と心から思いました」

 こうしたたくさんの感想が寄せられた。

ぼくは思う。若者たちに、指導案を丁寧に展開する力もつけてもらいたいが、同時に、今をはみ出すことを恐れず、子どもと共に豊かな学びを創り出す冒険にもチャレンジしてほしいと強く思う。それこそが『教師になってよかった』と思わせる大切な力になるんだ。

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 ところで、子どもが主人公のようで『教師の作ったパターンにやらされている授業』も多い。昔から、見栄えがいいのでよく流行したものの一つに、教師が指名しないのに子ども同士で、次々に立って発言する授業がある。「…と思います」と一人が発言する。終わるのを待ち構えてたくさんの手があがる。すると発言者が指名する。「○○君、では君はどう思いますか」…。一見『子どもが主人公』のようで華やかに見える。こうした授業をみて『凄い。よくできた子どもたちだ』『これこそプロの授業だ』なんていう人がいるけれど、それは一つの教師によって操作されたパターンでしかない。

 それをすべて否定するわけではないが、授業や話し合いというのは、もっとしなやかで、発言のしかたも自由で、寄せ返す波のように時にはうねり、ときには穏やかに会話が生まれていく自然体であるべきだと思う。つぶやきがそっと聴き取られるクラスの方がずっといいと思っている。ふつう人間はこんな発言を競い合い得意そうに話すことはない。組合の大会とか何か特別の席の会議とか交渉ならありうるけれど…。子ども世界の意見の意味を深く丁寧に教師が読み取りながら聴き取り、子どもたちとゆっくりつなげていけばいいのだ。そして、教師と子どもとで『高い山』に上っていくのだ。