木村百合子さんを思う

 『学びをつくる会』のリレーブログを読んだ。大谷さんが静岡で亡くなった木村百合子さんの公務災害認定訴訟の承認尋問の傍聴記録を書かれている。

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 木村さんが子どもたちの教室を抜けて教員室に来ていたという当時の様子を知って、「どれほど辛かったのだろう」と胸が張り裂ける思いがした。

 教室の子どもたちの困難が予想される。「聞いてください」「聞きなさい!」「なぜわからないの」「わかって…」木村さんの必死な願いや思いを込めた言葉が聞こえてくる。それでも、うまくいかなかったのだ。本当は教室にいたかったけれど、悲しくて、むなしくて、自分自身にも腹を立てながら、泣きたい気持ちで教員室にやってきたのだ。

 「どうしてよいか分からないような」、自分を見失うような、作り上げた自信や誇りが崩れ去るような、教師として人間として自己を支えることのできないような感情の中に木村さんはいたのだと思う。新任教師のこの危機の感情は、誰もが味わうことだけれど、木村さんの場合は特別に困難が大きかったのだと思う。

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 新任教師がこうした困難に陥ることを、管理職は初めから理解しているべきだ。木村さんの顔や表情を見るだけで、尋常な事態ではないことを知るべきなのだ。4月の状況下ですぐ手立てをうつべきだったと思う。

 それを、彼らは受け止めるのではなく、罵倒したり力のない教師だと決めつけたり、木村さんを追い込んでいった。文部省の指定校という圧力の下、今日の教育改革を無批判に推進するとき、学校は、同僚・仲間の温かな関係を破壊し、シニカルで攻撃的な口調の飛び交う職場にしていく。そうした空気が木村さんを追い込んでいったのだと思う。悔しい。

管理職が一声、「大丈夫だよ。今の困難はきっとあなたの未来を支えるから。少し休みなさい。私が見ておく」と言ってくれたら、彼女の夢は崩れなかっただろう。誰か、同僚や仲間の一人が彼女の痛みや辛さに共感し、話を聞いてあげたら明日を生きる勇気を持ちえたに違いない。