たんぽぽ

 新横浜から『ひかり』に乗って静岡に行った。義父の介護リハビリセンターへ。吹きさらしの強い風をさけて十字路を曲がると、日当たりのいい大きな道に出る。街路樹はまだ緑の葉をつけてはいないが、歩道の切り取られた小さな土の部分に無数のタンポポが咲いていた。あふれるほど…、まぶしいくらいに…。それがずっと続いている。

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 池澤夏樹の『終わりと始まり』という文章の一節を思い出した(朝日新聞4月5日付け)。

『「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない/例年のように自分の義務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない」とシンボルカスは言う。「わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと(沼野充義訳)」 そういう春だ。』

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 電車の中で雑誌『世界』を読んでいた。5月号は東日本大震災・原発災害特集号『生きよう!』―。テーマの解説『読者へ』の欄には次のように書いてあった。

「私たちは、もはや昨日のようには未来を生きることは出来ないのです。

 何があろうと、私たちはここで生きていく以外にありえません。多くを失った被災地も、また放射能に脅かされる原発周辺も、またそれを支えようとする私たち自身も、絶望し、逃げるわけにはいかないのです。私たちは『がんばろう』『がんばって』ではなく、ともに生きていこうという思いを込めて『生きよう!』と呼びかけたちと思います」

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 この特集の筆者の一人、松谷みよ子さんの言葉から―。

「子どもは未来です。そして新聞やニュースも伝えるように、どんなときでも子供は楽しむ、遊ぶ、喜ぶ魂です。もちろんまずは食料など生活物資が必要ですが、子供の心のことは大事にしてほしい。…私も被災地の子供たちに絵本を送ろうと準備をしています」

 (これは岩辺さんたちがもう取り組まれていることですね)

「現代に生きる人は、『読む』ことの大事さは知っていても、ことばで『語り伝える』ことを忘れてしまいがちです。でも、それこそ猿蟹でも、桃太郎でも、お話してあげれば、そのあいだ子供たちは物語の世界にふっと解放される。レパートリーを10も持たなくても、じいちゃんが話してくれたお話を一つおぼえて、人に伝えていけばよいのです」

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 大江健三郎氏は同書で、ル・モンド紙フィリプ・ポンス記者の問いに答えて次のように書く。その最後の箇所から…。

『今、「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」という問いに何と答えられますか?』

今書いている本の扉にダンテの「地獄篇」の最終一行を引用していますと答えているが、それは次のような言葉だ。

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『かくてこの処をいでぬ 再び諸々の星を見んとて(山内丙三郎訳)』