保坂和志を読みながら

 体がまだ回復していないので午前中はどこにも出ないようにしていた。しかし、「ゴミは出してきてね」と声がする。あれれ、まだぼくは熱でふらふらしているんだけど…。厚着をして外に出ようとしたら、猫のライラが走ってきた。

「ちょっとゴミ捨てに行ってきますよ」

 外は冷たい。急いで帰ってきたら扉の前にライラがちょこんと座っていた。「おう、待っていたか」

 午前中は少し理解が難しい本を読んでいた。うとうと…。

              ※

 夕方から教科研講座の集まりが法政大学である。4時に家をでて神保町に出かけた。気になっていた本があって探しにいったのだ。書泉によったけれどない。三省堂で本の検索をしたけれどここにもない。東京書籍(?)に行って店員さんに聞く。

「すいません。在庫がありません。…」

              ※

 三省堂から御茶ノ水駅まで歩いた。JRに乗る。水道橋、飯田橋、市谷…。法政大学の佐貫先生の研究室の隣の部屋で会議するのだけれど、この行き方が難しい。迷路みたいなのだ。

              ※

 行き帰りの電車で『保坂和志』のエッセイを読んでいた。今日の朝日の夕刊を見て驚いた。ここにもちょうど保坂和志が登場している。彼の文章は、絡みあった糸がゆっくりと解けていくような味わいがあるけれど、好き嫌いがあるだろうなと思う。エッセイ集より小説の方が味わいがあるような気がする。そのエッセイ集の中にいくつか心に残る言葉があった。その一つ。

《読書とは長い時間を費やして、ひとりの作家の思考をたどることだ。それが何の役に立つかなんてことは大事な問題ではない。…》《読書によって醸成される抽象的な次元》にこそ豊かな価値があると彼は語る。