子どもの育ちの困難

 テレビを何げなくつけたとき、画面に惹きつけられ思わず最後まで見てしまった。それは『大行進―中国“小皇帝”たちの孤独―』という番組だった。

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 12歳から15歳くらいの子どもたちが集まる全寮制の訓練学校で、年に3回、2週間をかけて400kmを旅する。歩き通すのだ。眠るのはトラックの中。途中、農村に立ち寄り、一度も経験したこともないような労働に取り組む。日常の生活と学習は訓練につぐ訓練。時間を決めて分刻みで行動を強いられる。朝の洗顔は、洗面器一杯の水。これで歯を磨き、顔をあらう。まる一時間、庭に直立して過ごすことも強制される。

 寮にあつまってくる子どもたちは、そのほとんどが新興富裕層の子どもたち。みんな我がまま勝手で、母や父の手に負えない。どうしてよいかわからず、最後の手段としてわが子をこの寮に送り込むのだ。たくさんの費用を使って。

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 わがままも半端ではない。「よい子」「できる子」になるようにたくさんの勉強を強いられるのだが、子どもたちはそれを放棄し、例えばゲーム三昧になり風呂にさえ入らない。歯も磨かない。「言っても聞かないから」とわがまま放題で、それでいて父母の庇護のもと過ごしていく。これでは変わりようがない。

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 わたしが、もっとも注目したのは、子どもたちの表情・しぐさ・態度だ。思わずつぶやいてしまった。

「何なんだ、これは!似ている。日本の子どもたちのこれまで見てきた一部の子の問題行動とそっくりじゃないか。表情や態度、怒りのしぐさまでまるで一緒だ!共通している!」

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 子どもの人間に対する、信頼の基底的感情とつながる『甘え』や『愛着』はとても重要なことだ。それは生きる力の源泉となり自立の力ともなっていく。これが、いま奪われている子も多い。しかし、『憧れ』や『希望』、人間的な自立につながらない、わがまま勝手放題を少年期や思春期の入り口まで許し続け、親としての責任を果たさないのは子育ての放棄だ。

 テレビの中で、指導者(教師)に向かい、悪態をつき罵詈雑言を言い放つ少年の姿は、かつて担任し支えてきた6年生のT君やO君、F君の生きる姿とそっくりだった。自分で自分自身の生きる形をコントロールできないのだ。彼らを人間的な眼差しへとつなぎとめ、価値ある生き方へと励ましていったのだが、それは、今回の番組のように一年間を要した。

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 厳しい受験勉強に追い込まれ、子どもとしての時間や仲間を失い、消費や欲望の世界に取り囲まれ生活する少年の姿は、生きることの希望を奪い、人間的ありようを破壊し、混乱させていく姿につながっていく。

 番組を見ていて、少し救われたのは、激しいやり取りはあるけれど、そこに決定的な暴力支配や人間否定がないことだった。一時間立ち尽くすことや400キロの行進そのものの意味は改めて問う必要もあるとおもうけれど…。