少女ジニと教室の子どもたち
岩波ホールで『冬の小鳥』を見た。
大好きな父から児童擁護施設に置き去りにされた少女ジニの物語。雑誌『教育』で佐藤博さんが映画評を書いているあの映画だ。
自宅に帰って再び彼の映画評を読んだ。ビシビシと鞭で打たれるように文章が心に食い込んでくる。彼の人間を見る眼、世の中を見る眼の深さ、思想というのだろうか、その凄さを思った。
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私は映画を見ながら教室の子どもたちのことを考えていた。今を生きる子どもたちの姿の中に少女ジニとつながるものがあるように思えたからだ。
用意された食事を机から払い落とすジニ。冬枯れのつるバラだろうか、その背後に閉じこもるジニ。そして、施設への贈り物の人形を刺すような眼差しで次々と引き裂くジニ。それらは、みんな私の出会ってきた子どもたちとどこかでつながっていく。
佐藤さんは、そのことを鋭く文章に綴っていた。
『愛されなかった苦しみは、大人にとっても激しい辛さと痛みをもたらす。幼い子どもにとって、それはどれほど耐え難い体験であるだろう。
子育てや教育にかかわる人々には、あらためて「子ども発見」を迫る映画である。現代日本の教室でも、少なくない子どもたちが小さな「ジニ」であるからだ』―。
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彼はさらに書く。
『何が子どもの二度目の誕生をささえるのか。心に深い外傷を負った少女の、激しく深い無力感と孤立無援感に対応する施設の大人たちに注目したい』と。
施設の寮母、シスター、院長、老医師…のかかわり。私も映画を見ていて、この人たちの子どもへの対応が生半可ではないこと、子どもの持つ言葉にならない悲しみや不当さ、怒り、存在の拒絶…、どう言葉にしてよいかわからないような人間不信、深い闇、それらを静かに受け止めていこうとする姿の凄さ。
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映画はパリに着く少女ジニの前を見つめる姿で終わる。彼の結びの文も素敵だ。
『哀しみや苦しみに彩られた物語でありながら、生き難い時代の人々に、辛さもまたゆたかさなのだと、映画は伝える。…』