中学生のお母さんから

 先日、学童保育の集会でお話をした。そこで知り合ったスタッフのお母さんからメールやお礼のお手紙をいただいた。

 私の本を読んだ感想と、高学年から中学生にかけて、育てることの難しさ、そのとき学童がとても子育ての応援になったことなどが書かれている。

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 最初に私の本の中から、次の文章が抜き出されていた。

『―子どもたちは、何か特別の取り組みや出来事のドラマを通して変わったのではない

 ―何気なく繰り返される子どもたちの日々が、忘れられた暮らしのなかの一コマ一コマが、ほんとうは子どもの生きる喜びを、豊かな心を育てているのだ』(希望を生みだす教室)

 そして、語る。

『この言葉のように学童保育の指導員さんが、娘にかかわってくれたことを実感し、そのことを私も大切にしたいと思っています。しかし、世の中はそう考えない人も多かったりして、この研究集会の後、三者面談のことを考えると、テストの結果とか進路とか受験の話に終始するのではないかととても気が重たいです…』

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 そして、こんなお手紙も…

『…私事で恐縮ですが、娘が高学年になって強く思ったことがあります。衣食住の面で、大人の手が何が何でも必要だった低学年の頃とは違った意味で学童保育は必要だということです。

一日、何時間かのお留守番はできるようになりました。けれど、お友だち関係が複雑になるなど、思春期の入り口に立った娘たちに、小さい頃から一緒に育ってきた心許せる友だちと指導員さんのそばで過ごせる時間を大切にしてやりたいと思ったのです。生意気なことを言ったり、虚勢をはったりする娘のことを指導員さんが「扱いづらい」とは言わずにかかわってくれるのは「幼い頃から知っている」というお互いの安心感があるのかなと思っています』

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高学年の子どもたちや思春期まっただなかの中学生と、親がどうかかわっていくかは、幼い時期の子育てとは違った苦労や困難がある。そうした親たちの支えあう場、語り合う場も必要とされている。同時に、高学年の居場所や語り合う場として学童がとても大切な場となっていることもあらためて確認したい。

私たち大人は、高学年や中学生の居場所について、ほとんど無関心のままだ。

かつては、地域子育て懇談会などを開いて、こうした問題について、また子育について親と教師が語り合った。勿論、夜の会合で。いまも、どこかでその取り組みをしているところもあるだろけれど…。