先生、変わらないですね

 今年、17歳になるTさんから手紙が舞い込んだ。

『田園都市線のなかで先生をおみかけしました。車内が混んでいましたので声をかけることができませんでした。残念に思い手紙を書いています』

 あれあれ、よく私とわかったなあ。

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『私の先生に対する記憶は、もう6年前のことですが、それと全く違いはなくとてもお元気そうでうれしく思いました』

 うん、そうかそうか―。読んでいてにやりとした。本当はかなり変わっているんだけどね…。それから、小学校時代の思い出がいろいろ書いてある。

『今年は受験生です。医学部を目指しています。あのときの授業を受けることができた私、そして、いま先生から授業を受けている子どもたちのこと、幸せだなと思います』

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 物語や説明文を読み終わった後書いたTさんの感想文のことが、突然思い出された。彼女独特の感性で文章が綴られ、次のようにまとめられていた。

『文というのは、一つの文に百のことがつまっている。そのことを私は授業を通して学びました…』

 様々な先生から『扱いの難しい子』と呼ばれていた。ほかの教師に対する鋭い批判の眼差しもあった子だ。わたしは、この彼女のこうした感性や発言が好きだった。共に教室で過ごす他の子どもたちと同じように、一人の個性ある鋭く豊かな学びを展開してくれたのだ。子どもたちはTさんのように素敵な表現で自分のことや学んだことを語る。これって凄いことだと思う。

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 今日は、夕方から教科研の仕事で佐藤博さんと会った。

「大月からの電車で富士を見ていなかったんだって! 僕は、もう何度も見ているよ。今の時期はきれいだよね」

「そうだよね。でも、僕は見てなかったんだよ。情けないというのか。他のことを考えていたのか。車窓から見える横の風景ばかり見ていたんだと思う」

 富士山が右に左に見えることを佐藤さんはちゃあんと知っていた。