心を支える学びの場

先日、『障害児と教育実践』の学習会に参加した。今日は、その日の報告について新潟の若い教師加茂さんと森博俊先生からあたたかなお言葉をいただいた。うれしかった。

加茂さんは、教師になって10年(間違えていたらごめんなさい)。いま通常学級の担任だ。特別なニーズを持つ子どもたちをクラスに抱え、奮闘している。その丁寧な実践記録を釧路大会でいただく。

「先生、読んでくださいますか」と言って。

そこには、二人の子どもの丁寧な分析と学級の様子、そして校内の先生たちとのカンファレンス等が書かれていた。いいなあと思った。

私は、加茂さんから若い教師の教育への熱い思いを感じた。遠い新潟から、朝早く起きて東京まで学びにくる。凄いことだ。そして、自分の実践を振り返り、分析し、記録にまとめ報告するという努力。子ども理解や教育の見方が豊かになっていくだろうなと思った。

教師を豊かに生きる上で、自分の大切な居場所となる学びの場を持てるといい。学校内とは違った、思いを重ねあえる友人たちと過ごす場だ。これから教師になるみなさんや若い仲間の教師のみなさんに、こうした場を持つこと、そこに参加することを強くお勧めします。『学びの会』の教師たちは、みなさんが必要とするなら、どこにでも出かけていくと思います。

              ※

森博俊先生からいただいたお手紙の中に大江健三郎氏の言葉があった。『ディーセンシィ』―。私も心に刻んでいる大切な言葉だったのでとてもうれしかった。ちょうどこの日、大江健三郎の『新しい人よ目ざめよ』を読んでいるところだった。その一部を紹介させていただく。

『…特別支援教育というと、どうしても困難を抱える子どもの問題に焦点化して考えがちですが、そしてその視点は外せないとも思っているのですが―ちょうどA君を中心にすえ、特に深く関わる数人の子どもに焦点を当て、それぞれの子ども理解についてお話してくださったように―、学級の生活や学習指導全体の中にその子どもを位置づけ、学級としての実践のあり方や質を深めていくというスタンスが大切だと感じていました。…』

『報告を聞きながら、先生の子どもと共にいるときのお人柄(と言ってよいのか迷うのですが)がよく伝わってきました。大江健三郎さんが強調されていたdeceancyと言う問題です。指導技術の前に、一人ひとりの子どもの人間としての尊厳をしっかり受けとめ、守るという姿勢が、子どもたちの心をひらいていくための大前提になっているのでしょうね。教師の教養の問題であり、倫理性の問題だと思いました』

とても重要なご指摘だと思った。私にこれができていたかどうかは分からないが、教師の基本姿勢として『教養』と『倫理性』の問題は、常に問われる課題だと思う。