辛さをひとりで耐えないで

 教科研の釧路大会で『教師の危機と希望』の分科会に参加した。論議の間の休憩時間や一日の終わりに、若い仲間の幾人かから声をかけられた。

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「今年教師になったBと言います。5年生の担任となりました。『教師力』の本(旬報社)にある先生の『五年生出発の詩』を使わせていただきました。そのことをお断りしようと思って…」

「使ってくれたんだ。いいですよ、そのために書いたんだから。もう何人も実践に使っていますよ。答えは、みんな違うからね。どうでしたか、子どもたちの反応は…」

「凄く乗ってくれました!『○○が悪い!』なんて、いろんなことを言ってくれるんです!」

 Bさんが弾むように話してくれた。瞳が輝いている。北海道の地で頑張っているんだ。初めての出会い、初めての会話。でも、こうしてつながりあうとうれしい。

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 分科会が終了した日、やはり初めて出会うLさんから声をかけられた。

「先生、一日目の公開講座でお話を聞かせていただいたLといいます。友人のHさんが4月から教師になったのですが、もう疲れ果てて夏をやっと迎え、9月が来るのが不安だと言っています…」

 私はLさんにメールのアドレスを伝えた。

Hさん、連絡をしてくれるといいのですが…。

一人で不安や辛さ抱え、耐える必要はありません。今日の子どもや学校の困難と子どもの辛さの現実は、一人の教師の力で受け止めきれるほど容易くはありません。頑張っても頑張っても、歯車が空回りして、負のベクトルをプラスに変えられないことだってあるのです。

ゆっくりとできることから始めましょう。そうやって歩いているあなたは、知らぬ間に人間の尊厳と勇気を刻んでいるのです。でも、疲れて倒れるくらいだったら休んだ方がいいのです。

8月の10日を過ぎるといつも思いました。

「ああ、もう夏休みの半分が過ぎてしまった。また学校が始まる」

と。そして、小さなプレッシャーが少しずつふくらんできました。

 わたしはそんなときは、時の流れに身を任せることにしました。8月の20日をすぎると、何だか覚悟が定まってくるのです。子どもたちとの出会いが楽しみになってきました。

 不安で繰り返し休日の学校に通う方もいらっしゃるでしょうね。それも、一つの乗り越え方かもしれません。でも、無理をしないでちょっと学校へ行ったら、年休や一学期取れなかった休日出勤の振り替えなどをしっかりとりましょう。