Fさん、おめでとう!
教育実践ゼミの若い仲間の教師たちが、この5・6年の間に幾人か結婚された。よくコメントを下さるU君もその一人。「赤ちゃんが生まれました」と連絡してくれる。携帯で赤ちゃんのメールを送ってくれたっけ。うれしい。
今回は、Fさんからだ。かわいい写真を添付してくれた。みているだけで幸せになる。ありがとう。赤ちゃんの瞳の輝きに、生きることの力がこめられていて、みるものの心を揺さぶられる。好奇心いっぱいに辺りを見つめ、すべてのことに心を動かし、未来をつかみ呼び込んでいくのだね。
KさんやEさんからも「赤ちゃんができました」と、うれしい連絡が入っている。体に気をつけてくださいね。
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『いのちと性』の学習をしたとき、子どもたちが赤ちゃんの頃と2・3歳の頃の写真を持ってきてくれた。毎時間、幾人かの子たちに登場してもらって『わたしは誰でしょう』を楽しみながら、命の誕生について学習を深めていった。
そして、授業の終わる頃、自分の写真に詩のコメントを書いた。愛おしい思いであふれていた。
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『命の誕生』にこんな深い喜びや思いがあるのに、いとおしくてたまらないのに、なぜ、悲しい新聞記事が続くのだろう。小さな赤ちゃんを殴りつけたり、踏んづけたり、食べさせなかったり、なんということをするのだ。人間の愛おしさや尊厳を、赤ちゃんと共に過ごす喜びを、この時代を生きる中で、心を枯らし、どこかに捨ててきてしまったのか。
赤ちゃんが愛おしい。赤ちゃんを痛めつける親を作り出してしまったこの時代と社会は、何かが歪んでいる。辛い。事件を起す彼らの人間らしい生き方や喜びが、どこかでひどく痛めつけられ傷つけられてきたのだろうか。もしかしたら、その中の一つとして、この国の教育の中に、彼らを生みだすひどい仕打ちもあったのかもしれない。