寄り道

 天気がいい。南武線のH駅で降りて多摩川を越えて歩こうかな、と思った。しかし、いつもの通勤経路を通る。たまにはこうした別の道を通るのもよいと思うが、「通勤経路を勝手に変えて通うのは許されない」と教育委員会からのお達しがある。最近も何度か管理職より話があった。つまらない。

 昔、狛江時代、低学年を教えているとき子どもたちに言った。

「ねえ、時には秘密の道を歩いてごらんよ」

 子どもたちは大喜びで、あっちの道こっちの道を歩いて、「犬がいいた」「古い社を見つけた」「不思議なおばあさんとあったよ」などと報告してくれた。日記は踊る。事件もなく、ゆるやかで楽しい時代だった。

 子どもたちにとって、毎日がときめきの日であってほしいんだ。

実は、教師だって、ふと違う道を歩きたい。すべてが機械のように変わらない日常など、非人間的だ。

 それで、たまにたまに橋を渡る。お金はこっちのほうがかかるのだ。静かな川面に鴨が寝ている。帰りには、夕日がビルを染める。県境を越える。自転車が追い抜いていく。てくてく歩くと、それだけで人間らしくなった気がする。

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 学校の中に流れる時間も、寄り道が少なくなった。子どもたちにとってかけがえのない休み時間も、「マラソンや縄跳びなどで体力アップをしてほしい」などという要求が寄せらたりする。びっくりする。子どもが育つことへのおおらかな自由が社会から失われている。