来てよかった!学びをつくる会

 学びをつくる会の第18回集会。池袋に9時10分着。集会準備は9時から始まっている。産業文化会館が午前中の集会。8階にいくと、もうみなさん働いていた。

 たくさんの参加者に驚く。学びをつくる会を愛する人たちや、霜村さんにつながる人たちでいっぱい。

霜村さんの話が始まる。自分の言葉で語り続けることのすばらしさを感じる。彼はいう。「たてまえの言葉では保護者の心に届かない。保護者は先生の言葉を待っている。それによって(今日の硬直した学校の中で)自由を広げられる」と。

 子どもたちの事実について通信に載せ語るときも、わたしの言葉で語るのです…と。「だから手紙(『らぶれたあ』)なのです」。

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 お昼を区民センターの喫茶室でとる。午後からは第二分科会の司会。養護教諭の杉田先生と9年目のE先生が報告してくれた。今日の子どもの姿や学校の姿。杉田先生の報告から、子どもたちが社会と家庭の困難や貧困を背負う様子、いわゆる「勝ち組」といわれている人たちの子どもたちの生きづらさも語られる。

 佐藤博さんが話してくれたことが心に残る。

 「教師は子どもたちの生活の背後にある家庭の貧困などを、経済的に金銭的に支えてあげることはできない。しかし、わたしたち教師にできることがある。それは、子どもをいとおしむ“眼差し”や“愛”“希望”を伝えることだ。学校が楽しい、生きることが楽しい、友だちがいる、そうした生きる力や自信を与えることはできるのです」と。

 最後に佐藤隆先生が素敵なまとめをなされた。

 「子どもの声を聴き取るとは、実はとても難しいことです。同時にとても簡単なことです。あることさえ腹がすわれば…」

 「子どもたちの『貧困』について語られることが多い。その多くは、物理的経済的貧困、つまり目に見える貧困についてだ。しかし、子どもたちの『貧困』はそれだけではない。そういう生活の中で傷つきながら、人とつながることや未来を展望することへのあきらめが生まれてしまう。自分なんてどうなったっていい、自他の存在への否定や攻撃性、自傷、閉じこもり…。そうした自分さえ見捨ててしまう気分。そこに隠された大きな問題がある。それは、小さな子達から高校生たちまで同じ状況だ…」

 「そのとき、教師は子どもの声を聴き、声をかけ、あなたという存在を認めているのです、あなたはかけがえのない子なんですよ、というメッセージを伝えていく…。教師はそのことはできる」

 それから教師や人間の持つ『弱さ』や『ゆらぎ』についても語られた。この『弱さ』への共感や『ゆらぎ』を認めることで、はじめて今日の子どもの危機と対応できるのだが、今の学校社会はその逆の『強さ』の論理がまかり通っている。そのことの異常さ…。

 まず私たちにできることは、自分の教室の物語を語ることです。そして、それは誰かに(安心して語れる)受け止められる必要がある。そのためにこそ、こうした会を、仲間を大切にしてほしいと。

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 かなり強引に私(山崎)流にまとめてしまったから、また、機会があったら佐藤先生のお話を聞いてほしい。

 エレベーターの入り口や中で、何人かの方から「先生、ブログ読んでますよ」と声をかけられる。読んでくださる方がいらっしゃると思うとやはりうれしい。

さあ、明日は、学校公開5時間授業だ。どうなることやら…。頭が痛いので少し早めに寝なくては…。