シドニーのママ友
9月の声を聞く前から、突然気温上昇、すわ夏の到来か。
誰もがそんな勘違いをしてもおかしくない、30度近い日が数日続く。
オーストラリアでは、例年9月1日をもって、公に Spring has come となるはずなのだが、その春めいた陽気もすっ飛ばし、いきなり、日中かなり汗ばむ気温に上昇。
人々は、即ビーサン、水着でビーチ詣で。
そんな単純明快なシドニー気質。
だから、半袖Tシャツや夏物ワンピースやらで浮かれていると、ぐっと冷えこむ日没後の気温差にヤラレてしまうこともしばしば。
わたしも御多分に洩れず、鼻風邪、咽頭炎を少々。
風邪薬を服用するほどではないが、いたって不快なことに変わりなく、元々寝つきのよくないことでは誰にも負けないところへ持ってきて、鼻水タラタラ、喉はヒリヒリ、余計に寝つかれない。
そんなしょうもない夜長の伴は、世界時計お構いなし、どこでもソーシャルメディア。
子守唄がわりを勝手出てくれる。
なんとかという、ちょっと知れた(人らしいが、わたしは知らなかった)某アナウンサーの日曜なんとかというラジオ番組を発見。
ラジオを聴いている人からの面白いエピソードを紹介。
老女が、夜中に寝床の中で、ひとり爆笑している図。
サマになってもならなくても、それが安眠の一助になるのであれば、なまじのサプリを呑むよりは、よほど健康的ではないか、ということにしている。
昨夜もそうして、小さな携帯画面をスクロールしていたら、いきなり「わたしの名前は〇〇」。
しゃがれた老婆の声で、しかし、明らかな、酷く日本人訛り英語での自己紹介。
暗闇で画面を凝視するわたしの眼中へ、耳栓ならぬイヤーポッドで聴いているわたしの耳の奥底へ飛び込んできた。
「えっ?!」「誰だって?」
もう一度、よくよく見直してみると、それは紛れもなく、その昔、ヒョンコマで関わりを持ったことのある日本人女性だった。
アシュ(ash/asche)色に染めたショートカットの髪は、年齢相応としても、声が。
まるで、酒と煙草で声帯を潰し、やっと絞り出したような声、どうしたのでしょ。
忘れたくても忘れられない逸話の持ち主。
しかも、下の名前が同名なので、単なる偶然にしては、気が萎えるほどの腐れ縁。
わたしの名前は、自慢ではないが、極々ありきたりのくせに、数的には、案外そう多くはないなまえ。
ひらがな、漢字、どちらでも書き表せるが、名付け親である父は、なぜかひらがな表記を選択。
わたしと同世代女子のなまえには、下に「子」のつく名前(智子・和子・洋子など)が大多数を占めていたように記憶する。
更にもっと言えば、わたしと同名女子は小・中学校時代、他にもうひとりしか、いなかった。
が、まさか、こんな後年になって、しかも海の向こう、オーストラリアはシドニーくんだりで、ふたり目の同名女子に遭遇するとは、夢にも思っていなかった。
(そんな大袈裟な、、、単に世間が狭いだけっしょ。)
同じ名前だからどう、というわけではないのだが、同じ名前だからこそ、この女性の立ち振る舞い、物言いは、違和感以上の嫌悪感を抱いで数十年。
無論、単に国籍が同じだから、即同胞とはなり得ないことの見本を示してくれたようなひとだった。
「だった」
そう、わたしにとっては、完全過去形の女(ひと)。
自称「絵描き」、一歳年下の彼女は、ワーホリ時代、英語教師をしていたオーストラリア人と知り合い、そのまま現地で結婚、一男一女を設ける。
第一子長女が2歳半くらいの時、子供の日本語環境のため、同年齢くらいの幼児を娘の遊び相手として探していた。
わたしはその頃、丁度下の子、長男を出産したばかりで、長女はまだ1歳半。
地域ナースの紹介で、とりあえず子供同士ご対面をと、先方からのほぼ一方的希望で、うちの子供を「査定」しにやってきた。
わたしの娘は、「足ははやかった」が「口は遅い」方だった。
2歳半と1歳半では、どうということもなさそうだが、極幼児期の言語発達段階には大きな差がある。
押しかけに近い「ラブコール」。
が、実際に会ってみて(ムリ)。
即決して、帰って行った。
それから数年後。
今度は、下の男の子同士が、それぞれ保育年齢に達した頃、別の日本人ママ友から、
「同名の〇〇さんが、会ってみたいって言ってるけど、どうする?」と言ってきた。
別の日本人女性とは、やはりワーホリ時代イギリス人男性と知り合い、同じく現地結婚。
我が家同様、上が長女、下が長男、同年齢、同学年、同じ保育園、小学校から一緒だった。
その彼女は、また別ルートのママ友グループで、先のわたしと同名の〇〇さんと友達だった。
「友達の友だちは皆ともだち」
ない、ない、そう簡単に、ともだちの輪は、、、あり得ない。
少なくともわたしの場合は。
同名日本人ママは、とにかく自分中心の話しかしないひとだったので、聞き手に合いの手を打つ間さえ与えず、自分の言いたいことを言い尽くし、聞きたいことさえ聞き終えると、ハイサヨナラ。
一見後腐れのない、さっぱりしているひとのように見受けられるが、相手する方は、たまらない。
とにかく押しの一手、イケイケ一気、強引一本槍。
相手の都合も、へったくれも、なにもあったものではない。
ある「事件」があってから、わたしはどうしても「この手の女(ひと)」とは、ソリが合わないことを自信を持って間違いなく確信。
永住組現地日本人の数などたかが知れており、しかも、互いに、「おーい」と言えば、「はーい」と聞こえるような狭い土地柄のため、それ以降、極力距離を置くようにひっそりと暮らしてきた。
わたしから、この女(ひと)を完全疎遠にした、ある決定的事件とは、、、。