あるフォロワー 写真家の場合 Instagram の世界 3 | 旅の空

旅の空

forever traveller

#instabeauty

#urbanphotography

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https://www.instagram.com/stories/highlights/17916384832782840/

 

 

 

 

ブログ同様、自分の撮った写真を誰かに見てもらいたい。

現代新日本語では「承認欲求」と云うそう。

 

漢字大好き人間だがこの漢字四文字を承認したい欲求は湧かない。

なぜなら、硬派的表現の割に形容修飾する内容が、如何にも露骨すぎて品がない🚫

わたしの👂🏻耳は(気色悪っ😖)(🙅🏻‍♀️心地よく響かない)

相変わらず文句たらたら🤷🏻‍♀️

 

それほどまでして、お他人様に認めて欲しい自我のないひと👎

そもそもその自分に自信のないのが(わたしは)気に掛かる👎

そして、お他人様による是非を公に乞う姿はもっと気に掛かる👎

さもしくてみっともない👎

そんな💢強気発言言いたい放題(➡️わたしのことね😇)を評して「↘️⤵️から目線」だとか😂

 

 

 

あるフォロワーの場合。

商業写真家として宣伝目的でインスタグラムを利用。

フォロワーの数に一喜一憂。

実生活で友人と呼べる人がいない。

信じられるものは「写真だけ」と言い切る。

 

 

旧東ドイツ出身アンジェラ・メルケル首相のモットー。

「話の通じない相手には議論ではなく沈黙で対処せよ」

ベルリンの壁崩壊後、東西ドイツは包括統率される。

一大経済大国として、激動の歴史を生き抜いてきた人の言葉は、

確かにずっしりと重みがある。

 

 

 

祖父母は、旧ソビエト時代ユダヤ系ポーランド出身東ドイツ国籍。

ヒットラー台頭時、ユダヤ人狩りに怯えた祖母は生存の道をカソリック改宗へ求める。

 

ひとり娘は20歳で望まない妊娠。

男児出産。

経済的理由により娘の母(祖母)が代理育児。

幼い男児の芸術的才能はすでに幼児期からその片鱗を。

一人遊びの伴として与えられたお絵かき帳時代にも遡る。

 

母25歳。

同じ男性との間に再び望まない妊娠。

女児誕生。

父である男性は、第二子誕生後、女性との関係解消。

この幼い兄妹の前に、父親がその姿を再び現すことはなかった。

 

1989年、ベルリンの壁が崩壊するひと昔前。

ある東側出身の家族史のひとこま。

それがインスタグラムで知り合った商業写真家の生い立ちだった。

 

 

 

1983年、ベルリンの壁の「こちら側」に立っていたわたし。

行こうと思えば行けた「向こう側」。

でも行かなかったわたし。

 

前後して1982年の「向こう側」。

コンクリートのアパートメントの窓から一日中、

「こちら側」を眺めていた一人の少年がいた。

 

旧東ドイツ、片親家庭で育つ。

熱を出し学校へ行かれない日は実母に代わって祖母が看病。

母親20歳代。

家族の唯一の働き手であり、また遊びたい盛り年頃の女性でもあった。

 

学校で習う第二外国語はロシア語だったと云う。

今でこそロシア語が使える機会はめっきり少なくなったそうだが、読み書きなら、まだなんとかなるそう。

 

思春期、はじめてのガールフレンドができる。

ガールフレンドは義務教育を終えるとプロ写真家を目指すと云い、ドイツ北部ケルン市へ移り住む。

旅立ちの日、漸く失うものの大きさに気がつく。

ふたりの間は自然のなりゆき、暖かな春が訪れる。

 

幾年かの月日を離ればなれに暮らしつつも、望み通りプロ写真家として成功、経済的自立する彼女。

その間、青年はドイツを代表する金融経済都市で、警備保障会社の警備員としてフルタイムで働く傍ら、文字通り縁の下の力持ち、彼女の写真ビジネスのアシスタント兼マネージャーとして支える。

真面目を絵に描いたような実直さは、本職の職場でもすぐに頭角を表し始め、チームリーダーとして引き立てられる。

実弾入り拳銃装備の警備業務が彼の日常であった。

緊張感と寝食を共にし、一時も気の休まることのない20年だったそう。

変則的遠距離恋愛関係、週末通い婚20周年の記念の旅行。

ふたりで一度行ってみたかったベルリンへ。

 

その翌週の週末は、彼女の誕生日と重なっていた。

 

プロ写真家である彼女の仕事を、長年裏方として手伝ううち、門前の小僧のようにして覚えた写真技術もさることながら、写真そのものへの興味も、単なる興味以上のものへと発展。

しかしこの時点ではまだ(アマチュアレベル)と謙遜する青年。

 

リボンのかかった大きな包みには、目一杯引き伸ばされた恋人の肖像写真が納められていた。

薔薇の花束を抱え彼女の住むアパートメントへ。

 

 

ケルン市中心商業地域に位置する好立地条件のアパートメント。

ひどく高い吹き抜けの天井。

スタジオも兼ねた空間。

びくともしない煉瓦造りの彼女のアパートメントは、ヨーロッパでは、決して珍しくない二、三百年以上も前の年代物の建築。

一地方都市であったせいか、大戦中連合国の爆撃からは逃れた。

 

脂ののった意気盛んな女性の聖城とは世辞にも言えない。

ごてごてと飾ることを好まない彼女は、むしろもとから殺風景なアパートメントで満足していたとか。

 

青年はいつものように合鍵を使って扉を開ける。

なんら疑いもなくアパートメント内へ一歩足を踏み入れる。

その瞬間。

なにかわけはわからないが、

いつもとは違うなにか、を感じとる。

 

(?)

 

広いスタジオの片隅。

クイーンサイズベッド。

そして、そのベッドには

ふたつの印影が、

くっきりと。

 

この週末、青年がこのアパートメントを訪れた最期となる。

 

疾風迅雷の如し。

全身の血が脳へと一気に逆流する。

眼の前が一瞬にして暗黒の濁流と化す。

 

ドイツ高速道路には制限走行速度というものがないらしい。

アウトバーンをドイツ流猛スピードで走るとは、どのくらいのスピードで走行することを意味するのだろうか。

 

ケルン市から約200km離れた自分のアパートメントへいったいどうやって戻ってこれたのか、全く記憶にないと云う。`

それがこの青年の20年に及ぶ遠距離恋愛の幕引きであった。

 

幼馴染、転じて若き日の盟友。

辛苦を共にした夫婦も同然、仕事上も二人三脚。

そして、何よりも唯一無二の親友と信じて疑わなかった。

うぶといえばうぶな青年に対し、

手の平を返したような恋人の理不尽な裏切り。

「あなたは知らなくても良かったことなのよ」

後日友人を指し向け、彼女のアパートメントから私物を引き上げる。

 

しかし女性の言い分は男性のそれとはまったく異なっていた。

彼女は子供が欲しかった。

が、青年は自分の生い立ちにあまり幸せな記憶がないせいか、

" Children are distraction and destration."

「子供とは、注意散漫と破壊(の原因)である」

 

青年はあまり英語が得意ではないので、例のハイテク翻訳家Mr.Google の助けを借り、わたしのためにドイツ語から英語に変換してくれるのだが、味も素っ気もない否定的形容、断定的表現にわたしはいささか面喰らったものだ。

(ドイツ語ってこんなに激しいの😱)

 

要は、子供を持つと自分のやりたいことに思う存分集中できなくなる、つまり親としての責任を果たさなければならないために自分の時間を取られたくない。

ならばいっそ子供も家庭も要らない。

 

たった数語で構成されるこの青年の理路整然としすぎる信条。

自分の生い立ちが不幸以外のなにものでもなかった、という

思い込みと自己憐憫。

同様な家族史は、自分も敢えて繰り返すべきではない、との、

歪んだ自己防衛意識。

その二点が、青年にそのように云わせていると想像するしかない。

(ドイツ人ってみんなこんなに頭堅いの😥?)

 

いくらお気楽なわたしでも、

「子供を持つことで自分のやりたいことがやりたいようにできなくなる、集中できない」って?

結婚それ自体にしても、

「たかが紙切れ一枚で何が変わる、なにも変わりはしない」って?

 

女性の言い分

「ふつうに結婚してあなたの子供を産みたい」

 

" There are always two sides to a story."

(どんな話にもふた通りの筋書きがある)

 

この男女の場合、両者の言い分にかなりの開きがある。

それ自体は、それほど珍しい話でもないと思う。

が、だからといって、他の男とふたまたかけても良いと云うことにはならない。

またそんな状態になるまで彼女を放っておいた男性側も良くない。

通い婚だの事実婚だの、実体験のないわたしにはほんとうのところはよくわからない。

が、ひとつだけわかることがある。

長いこと苦楽をともにし、こころから信頼しきっていた親友でもあった恋人が、ある日、自分の眼の前で、他の男性と共に一糸纏わぬ姿でいる現場を目撃。

ショック以外のなにものでもないこと。

まるで映画のワンシーンのような話。

実際にこんなことが起こり得るなんて、信じられない。

しかもこんな実直繊細な青年に。

話をてんこ盛り脚色できるような器用さはこの青年にはない。

 

 

因みに、青年の母親とわたしは同い年。

もしも自分の息子がこの青年の立場と同じだったとしたら。

と、いつもの悪い癖、思いっきり感情移入してしまう私設身の上相談所年の功職員。

 

青年は以来、精神を病み人間不信に陥る。

精神的ショックの甚大さは、男盛りの躰をもショック死状態に。

精神性性機能不全障害も併発。

数年経過の現在に至るもいま尚治療中とのこと。

 

「信用できるものは写真以外ない」と言い切る極論。

同情の余地なきにしもあらずだが、この青年の元々細すぎるくらい細くて脆い繊細なこころが完全に破壊された印象は否めない。

 

法律的婚姻関係にはなかったのだから、女性側事情による不倫には相当しないかもしれないが、遠距離関係を良いことに「あなたは知らなくても良かったことなの」などと、人をみくびったような言い逃れは決して許されてはならない。

 

が、残念ながら男女間のことは当事者同士にしかわからないもの。

 

精神心療科へも足を運んだようだが、なまじの慰めも励ましも受け入れられず、数年経過。

素人傍目にも、確かに、そのようなこころの余裕はまだなさそう。

 

女性不信がすなわち人間不信へと。

新生活へ向けての仕切り直しなど馬の耳に念仏であるかのよう。

怒りが執念と化して。

可哀想な話だが、この青年もまたピーターパン症候群にこころを病むひとり、と思えてならない。

 

 

お気楽人間にとり、たとえ似たような状況に遭遇したとして、人並みに傷つきもすると思うが、

(落ち込むことだけで、コトは解決しない)

(落ち込むこと自体にも、キリがないでしょ?)

と思うわたしは「冷たすぎる」だろうか。

もちろん他人の人生を取って代わることはできない。

またひと一人に与えられた人生はそれぞれ、たった一回こっきり。

輪廻転生を信ずる青年にとり、希望に満ちた明日への道程はまだまだ遥か彼方のよう。

 

 

 

たかがきまぐれ素人写真を投稿、時に他のひとの素敵な写真を拝見、、、しているだけだったはずなのに、、、。

いつからこうした人生相談の相手をするようになったのだろう。

いつの間にやら、虚構の世界インターネットで展開される別世界へ迷い込んだわたし。

 

レンズの向こう側に映る生身の人間。

様々に織りなされる人生模様。

まるでネガフィルムの表裏一体のように写し出される世界。

それらは伝統的遠近法の原理を超越。

虚構の世界から予期せぬ実像を引出すことの矛盾。

現実世界で実際に起こり得る無情な矛盾。

そして、それらの過程で学ぶ人生観。

真実の顔を覗かせる刹那的虚構の世界。

 

かつての夢見る少女は、年老いてもまだなお、地に足のつかない空間を浮遊し続けている。

が、実はかつて夢見たあの自由の空間はもはや夢でない、手を伸ばせば届く距離に近づいた。

インスタグラムという虚構の世界。

 

たかだか十数年前には考え及びもつかなかったデジタル時代。

わたしもちょっぴりデジタル化されたかも?

(無いない👋😂)

でもやっぱり、アナログ実物のわたしが一番わかりやすい😇