直感的な 決断は 何年も 誠実に付き合った 優子との別れになった

新宿駅で、彼女と別れる時 …… 必ず迎えに来る 強く言った 

それは  3月末だった❗️  

そうです 

12月31日 窓口で10万円過払い 大晦日 徹夜で探した、でも 見つからなかった   

翌朝 元旦 夜が白々と開ける いつもの職員口を出る 吐く息が白い

タバコに火をつけて 吸い込んで、、、大きく吐き出す 白い息 と 煙、、、

銀行を辞める‼️‼️   大きな声で言った、、、、周りには誰もいない 

 

彼女の事は 全然……頭になかった*** 

今思えば あの時からずっと、、自分の無責任さ と言うか 幼稚って言うか

子供だった 自分を恥じている

結婚するって 二人で婚約 彼女の親には、何も自分から伝えていなかった

 

親が、怒るのは当然 四年も付き合って 自分の、実家にも挨拶に

遊びに来てもらっているのに

相手の親に 正式に結婚の挨拶もしないまま 突然 銀行を辞めるって、、、

 

それなのに、、何で ついてこない、、と言う様な思いになって、

正月明け ミスの後 出勤は いつもの様に 窓口業務を続け

その日の 帰りに 係長に辞表を出した

係長は 当然 引き止めた (増田係長)     今も顔は うっすら覚えている

私の頑なな 辞めると言う態度に 一回のミスじゃ〜ないか! 考えないさないか❗️

 

この事もそうですが 自分は大変 プライドが高い (自分では 当時 わからなかった) 

「ずっと後 娘が大きくなってから そのことを言われた事がある」

あの忙しさ 自分の左手の小指を いやと言うほど 強く出納印で叩いて

小切手に支払ったと言う印を押すのだ 忙しさから、小指を叩いて 皮が剥け血が出る🩸

ハンカチで強く巻いて、手のひらで縛って、、 誰にも言わず 次の人の支払い作業を、、

 

責任感が強い❗️  と言うのか 自信過剰 と言うのか ‼️  それでも 間違えは間違え

責任は自分 だから 辞める、、

先の不安はない 大手銀行を辞めるのに 

正月の 何日目か記憶はないが、、 帰郷して、高校の担任だった先生の家に行き

帰郷する 就職先のお世話を、お願いした その日か? 電話で連絡を受けたのか? 

岡谷市の、山和電機 工場の経理業務 そこの社長が、先生の親類関係? 

大手銀行 5年勤務しているから 先生の信用で、面接もなく、、、、決定した

 

銀行に戻って 辞めるまでの 3ヶ月間 彼女に、正月明け 当然伝えた 

どの様に伝えたかった 記憶がないが 私が八重洲口支店 彼女は、渋谷 決済課 

ここに勤務していた時 待ち合わせいた 喫茶店 彼女がマスクをしていた

瞬間で 殴られて‼️   、、、 聞いても 彼女は、、俯くだけで

 

私の感情は すまない 、、、 絶対に迎えに来るから 、、、

就職先は決まっている 

自分の兄は、証券会社 全国を転勤している 両親 爺様に、畑を分けて貰って新家を建てる

 

しかし 会う機会は、少なくなった

彼女から 別れると言う言葉は一度も聞かなかった 帰郷する3月末 新宿駅でも、、

彼女とあって、必ず 迎えに来る、、、、 と 会っているが。。。

 

この様に 自分勝手 自分だけの思い込みが強く 世間的対応力が、、非常に欠けていた

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今世 彼女に心から、感謝している そして 心から詫びねばならない 侘びている‼️

こんなに人を愛せたことを、、しかし 一番肝心な事を 本人に直接 伝えられないでいる

この後書いている 会社に入社 5月の連休だったと思うが、約束を守るために、上京した

彼女の家には、電話をかけられないから 会えるか? わからないが、夕方5時過ぎから

野方の彼女の家の近くで ずっと待っていた… 神様はチャンスをくれた 

抱き合って 初めて 彼女から、キスを それも 舌を絡めて、、、 

彼女も 愛してくれていて、待っていてくれた❣️    

****** だから 実家に戻って、電話できると、喜びの気持ちで 期待して電話した

母親が出た 冷たいキツイ声で 2度と電話しないで下さい 、、、 

お願い、、、と言ったが、 電話が ガチャンと切れた、、、

その絶望感、、、 

 

18歳の時 高校野球で、強い 甲子園に向けて 地域で、相応の力があったのに

初戦で 1:0      大、、、不運な負け方  記憶が飛んで 諏訪湖の岸辺で、泣いて

なぜ 負けた  、、、 ずっと問い続けて   それが 何故、生きている⁉️

その 大命題を引きずって、、、

 

ここで 又 、、、自分の決断とは言え  !!!!! 

諏訪湖の岸辺に行き 、、、 また泣いて 苦しんで、、、

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山和電機は、以前は生糸工場 木造の古い建屋 板張りの床がギシギシ 窓のガラスも

角が欠けている、、、 事務所と言っても、⁇   

経理は 想田部長 漆戸係長 白髪のおじいさん 熊井君がいた 彼は高校の同級生

女性っぽい人でしたが 今も変わらない感じ、、、

隣は 総務 田舎のトッポいお兄さん と 女性シャイン  係長はいつも不在! 

 

8mm映写機の製造 富士フイルム TV📺 CM  私にも映せます の 時代になって

直接輸出の販売も 多少していた 仕事は問題もなくこなして、、、

 

コンピュータもない時代 ロール紙のついた計算機 

カシオから電卓(電気卓上計算器)は 画期的だった、

 

仕入れ伝票が一番多く 給料計算も最初は 手 大型コンピュータが会計事務所に導入

当然 IBM.  委託で依頼する時代が始まった 

毎月変動しないデータを、基本データとして渡しておき

毎月は、変動するデータだけを渡す コンピュータを扱う、基本的な考え方が、後に 日電東芝 

最初の、日本の国策として、国内コンピュータメーカーを育成する その導入も行う事になった

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 [後に 8mm映写機は📽️ ビデオに📹 会社倒産 コンピュータ関連の企業に転職の契機に]

 

だから 基本契約 こうした作業も自分の作業に加わった これ又 法務局を辞めて途中入社

小野地区と言う場所から 通勤してきた、少し年齢が上の [原さん]  と懇意になって、私が

東京で付き合った 彼女との別れ 初めて、他人に打ち明けて 飲み歩く付き合いまで発展した

彼も 私も、転職組 私が先だから、多少先輩で、社内事情は知っていた、私も銀行 彼も法務局

世間 社会と言う この工場と言う現場現場しか知らない 社員たちとは、又 この諏訪地域と言う

狭い 地域社会だけの特有の人の性格 まず 否定する 新しい事を拒否する人間性を 2人で良く

酒に席で 語り合った その上 言葉が 荒い、、 キツイ 方言がある これは この地を離れて

初めてわかる事だった  

 

日本自体が 全てに産業で大きく飛躍し 発展する時代だったから 人の採用 社員数が急増し

生産が伸びる 部品点数が増える 取引先が増える  ですから、規律 規約 組合との交渉

改善 改革が必要で、そうした規約書 契約書 伝票の書式 形式を起案して 会議を行い

こうして下さい そうした主導する作業も増えた

 

原さんと、福利厚生 野球部を作ろう、、、 以前にもあったらしいが 全く廃部状況から

景気が良いから ユニフォームも新しく  取引先と交流試合も、、、

こうした仲間が 仕事 会議で、協力者になった 

 

毎月の様に、月次決算 その監査に、公認会計士が東京から来ていた その付き合い 

会計士に、月次決算書に作成 その説明 担当は、自分の仕事であった その日 後は

夜の飲食 囲碁の相手 酒の相手 宿泊先の手配 予約も行うから、部長 社長は接待役

後でわかったのは 私が入社出来た時社長は この生糸会社のオーナーだった 飾りで

実質 フジヤ (お菓子のペコちゃん) からの、出向者 専務 常務 経理の部長が占めていた

 

*

最初 通勤も、当初バスだったが 初年度か 次の年 トヨタが、カローラ 日産がサニー

少し遅れて ホンダが N360    (マツダは3輪トラックだった)  が、急激に出回って 一気に

車社会になっていった

自分の カローラを買った 親父さんが 、駐車場🅿️を 大きな栗の木を切って、、

 

会社は、どの会社も、日本全体が、カメラ 時計 洗濯機 冷蔵庫 自動車

TV📺 ですから 8mm映写機📽️も 工場🏭 電気店 商店 道路工事 

建設 バルブ 、、デパート 鉄道 全ての産業が それ行け ドンドンの時代

飲食店 夜のバー 、、、みんな 忙しく働いて 食べて飲んで 

給料も 毎年アップ  組合も、頭に赤い鉢巻きを巻いて 、、労働者を守れ、、

どの会社も 成長する時代になって  

 

彼女の事が、忘れている状態になっていた 

 

工場は、古い建物 平屋の建物が、3棟並び、二階建てが一棟 

そこにそれぞれ、ラインと言う ローラーコンベア そに脇に女性が両側に並び

映写機を組み立て行く A B C D E ライン 1ラインに14〜15名の若い女性 

私が 東京から来た 噂が広がっていて 事務所の女の子が、歓迎会をするからと

結構 モテていましたが、、 彼女の事が 頭から離れずに ……

 

仕事中心、、 野球部見も出来て 社員数も200名から 更に 増えて行きます

そうすれば結構 野球部だった社員も多く 原さんが監督 中村課長が部長 

自分がキャプテン マネージャーになりたい女性が、沢山いました

下請け協力会社と、より多く親睦を図る目的もあり 盛大に盛り上がりました

 

忙しく 2年が過ぎようとしていた 4月頃だった 妹 香寄(かより) が、突然

腕に何か、ブツブツが出来たと言って 母親が入っていた宗教法人の、食事療法

千葉県 九十九里浜の施設に行く と 言って 、、、、

家の 入り口の、木戸のところで 行ってきます‼️  そう言って 手を振って、、、

 

それが 今世 妹との別れになったのです、、、、、、、、

 

絶望 … 

 

何のために生きている …

 

幼い 純真な少年が、一生懸命 野球に夢中になって 負けて、、 何で生きている?

 

東京で就職 西銀座 大手銀行、、 八頭身美人のモデルの様な、外為の美人社員に

転勤の時 送別の手紙を貰って

 

転勤先で 岩手から一家で状況した 優子に巡り会えたのに  別れ、、

 

郷里に戻って 仕事に打ち込み 、、さあ これからと言う時、、、

 

可愛い 美しい 妹の死  、、、、

 

神は 何で こんなに 俺を苦しめるのか‼︎