産業カウンセラーの 高野 晴 です。

 

「切ない」という言葉があります。

 

辞書には、

「自分の置かれた苦しい立場・境遇を打開するうまい手段が見出せず、耐え難いほど辛く思う気持ちだ。」(新明解国語辞典第七版)

とあります。


 

私がこの言葉を知ったのは、意外に遅く、社会人1年生の頃でした。

 

あることで課長と意見が対立し、私の意見は却下されたのですが、

その後、課長の意見が部長に却下され、結果的に私の意見どおりになりました。

 

私は、課長のことを「それ見たことか!」と愚痴っていたのですが、

その時、先輩から言われた言葉が、

「まぁそう言うなよ。課長もあれで切ない思いでいるんだからさ。」

でした。

 

確かに、社会人1年生の意見を「お前は何も分かってない!」と切り捨てたはずが、部長(しかも課長よりもかなり年下の)に簡単に却下され、

その結果、私に対して、

やはり君の意見で進めてくれと指示するのは、かなり切なかったはずです。

(ごめんなさい💦

 

さて、それまでも「切ない」感覚を意識することはあったはずですが、このなんとも言えない感覚に明確に言葉が与えられ、

私は以来、「これが『切ない』という感覚か」と意識するようになりました。

 

最近でも、

毎朝、若い駅員が乗降客に挨拶しては無視されて切ないだろうな


街頭のティッシュ配りで声を掛けても無視されて切ないだろうな


とても良い記事なのに「いいね」が少ないなんて切ないだろうな


と感じることがありましたし、

 

人だけでなく、物に対しても、

ゴミ集積所に積まれているおもちゃの気持ちは切ないだろうな


臭いと頭髪とヨダレが付いた私の枕の気持ちは切ないだろうな


効果がないと愚痴られている育毛剤の気持ちは切ないだろうな


などと感じることがあります。

 

「切ない」という感情は、悲しみ、寂しさ、憂い、感傷、やるせなさ、無力感、徒労感、罪悪感など、ネガティブな感情が交じり合った複雑でデリケートな感情です。

 

一方で、少しばかり心が痛むことがあっても、生きていくことが辛くなった、というような支障が出ることは少ないと思います。


あまり「切なくて、仕事や生活に手がつきません!」という訴えは聴いたことがありません。

 

私自身、先ほどのような「切なさ」を感じても、

駅員の挨拶は無視し続け、

ティッシュは受け取らず、

ブログはいつも流読みし、

大量のおもちゃも廃棄し、

ヨダレ付きの枕は愛用し、

効果の薄い育毛剤も使い続けているわけです。

(ごめんなさい💦

 

ですから、この「切なさ」の感情への対応としては、過度に、深刻に、過敏になることなく、生活のスパイス程度の感覚で良いと思っています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。