2024年6月16日
「私を殺して」
―死刑囚の母―
高野台水路の鶯の声を聴きながら、テレビをつけ、背筋が凍った。
「私を殺して」「私を殺して」
泣き叫ぶ中年の女性。
女性の横のテレビから死刑判決のアナウンスと、文字が映し出されている。
女性の息子が、今、死刑判決を受けたとアナウンスが流れた。
カメラが入っているようだ。
号泣し、絶叫する女性。
「私を殺して。私が産んだ子や」
死の淵に立ったわが子を報道で知った母親「私が産んだ子や。私を殺して」。
ああ、女性は自分の命と引き換えに息子を守りたい、代わりに自分を処刑してほしいと畳に打ち伏そうとしている。
茫然自失、立ち尽くした。
「全世界が子を見捨てても、母は子の全世界となる」
カイリー・アービングの言葉が脳裏をよぎる。
わが子が罪を犯して、刑務所に入った場合など、他人の全てが見放しても、母だ
けは温かい愛で、子を包み込むの意味だ。
3月の衝撃映像に、嗚咽を抑える事が出来なかった。
拙文にしなければ。プロミネンス。後世への記録として。
終世、忘れられないあの日の想い出とともに。
「吹田自分史の会」発行の「わが人生の想い出」第九集に掲載した拙文「高野台慕情19」で「母さんに、も一度逢いたいな」。死刑囚の綴った「母恋鳥」がある。感動した詩を再度あなたの胸にお届けたい。
「母恋鳥」
母、母、母と母恋鳥が
ひとや(独房)の壁に爪立てて
書いた3文字よ 血の文字よ
母恋鳥は母を呼ぶ
「西日本新聞」で、死刑囚の詩を読みこころ打たれた。弁論大会の原稿にしたいと思い新聞社に手紙を送った。丁寧な返事が来た。
「処刑されました」。
取材記者が訪ねて来た。庭の緑が沸き立つ6月、その日の記憶は鮮明だ。
母親は、その子と幽明相隔てた後に、「母恋鳥」を読んだという。
恐らく何万語でも書き尽くせない想いがあったことだろう。
生命を授け、育んでくれた母へ、最期のメッセージだった。慈愛に満ちた眼差しで見つめる若い記者と、父のそばで、多感な中学生だった私の胸は張り裂けた。
盆が来ようと祭りが来ようと
母恋鳥の歌悲し
召されゆくまでその日まで
母恋鳥は母を呼ぶ
遠い歳月が流れた。大きな反響があったという。
若い死刑囚の生きた証、紙の墓碑になった「母恋鳥」は、当時の読者と共に切なく今も胸に迫ってくる。事件の背景や、生い立ち、鎮魂への温かい思いを、言葉を選びながら静かに語った記者の姿は昨日の事のようだ。
今年4月、栃木県那須町の夫婦殺害事件等、2024年を反映するような事件が頭に浮かぶ。
5月20日、朝日新聞は、夕刊の一面に、いみじくも刻んでいる。
「私だってやりかねないな。事件の背景や、被告の生い立ちを知れば、思う。
その怖さは、順番が来る時まで大切にしよう」。
人の子は母親の子宮で優しく守られ、出血と、激痛を伴って産み出される。
母の瞳を見つめ授乳を受け、「ああちゃん」「ああちゃん」幼く慕いながら育つ。
地球上に生き残った人類の祖先ホモサピエンス。18万年前から人間誕生のドラマは変わらない。
母と、その愛し子、生命の極限で、昇華された二つの真実の姿。浅学のまま拙文にしながら、祈りを覚える。
注1「吹田自分史の会」
毎月第3日曜日午前10時。南千里公民館で午前10時から開催。南千里公民館は、阪急南千里駅傍。「千里ニュータウンプラザ」7階。